女のいじめは陰湿だと、よく言われてます。代表的な手口は以下の3つ。
- 無視
- 陰口
- 仲間はずれ
それらをしつこくネチネチと繰り返し、最終的には孤立させます。職場、学校、地域など場所はどこであれ手口はほぼ一緒です。そんなことを毎日されたら精神的にも肉体的にも限界がきて、その場を逃れることにしか意識は向かなくなります。
私も少し前まではそうでした。でもそこは、職場や学校のように毎日顔を合わせるような場所ではないため、接触の機会を減らすことがじゅうぶんに可能な環境でした。
結果的にはそれが救いとなり、精神的ダメージを最小限にとどめることができました。
それでも今思い返せばつらかったです。自尊心は根こそぎ奪い取られ、孤立無援で自分の居場所はなくなり、相談できる人もいないような気分になり、周囲は全員敵に見えました。誰も信じられなくなりました。
そうなると全部自分の胸にしまいこむしかありません。こちらが無抵抗とわかれば相手はどんどんエスカレートして……という、悪いスパイラルの渦に落ちていきました。
でも見ている人はちゃんと見ていると、世の中まんざら捨てたものではないと思える出来事がありました。この一年私は真っ暗闇の中を彷徨ってきましたが、ようやく明るい光が見えてきたのです。
いじめへの賢い対処法はケース・バイ・ケース。どれが正解というのはありません。
でも少なくとも私は、陰湿な女のいじめに賢く対処してきたように感じます。よくがんばったと自分を褒めてあげたい気分です。
いじめの経緯
仮にAとしておきましょう。Aは人付き合いにおいてはソツがなく、誰からも評判の良い人物という印象があります。
でも時々「あれっ?」という、うまく言語化できない違和感がついてまわりました。
この段階で気づけばよかったのですが後の祭り。その都度気のせいだと違和感を打ち消して、最初のうちはふつうにつきあってきました。
そんなある日些細な口論がきっかけで、私が感じてた違和感の正体がはっきり見えてきたのです。そのあたりは以下の記事に詳しく書いてあります。
病的な人間性
10中8,9、Aはサイコパスです。私が抱いた違和感は、その危険を報せるサインだったのです。
その後Aは豹変しました。本性を見せてきたのです。
ただの意地悪なんてレベルではありません。人として最低。
たぶん自己愛とかボーダーとかサイコパスあたりの最も危ない部類です。しかも恐ろしいことに、Aは元・小学校教師です。
距離を置く
そこで私はこれ以降、Aとの関わりを一切絶ち、心を乱されぬよう自分の視界に入れないような行動を心がけました。
具体的にはAがいる場所には行かない・関わらないようにするだけでしたが、不愉快な相手と距離を置くだけで、ほんの少しだけ心にゆとりが生まれたような気分になりました。
距離を置くことの利点は他にもあります。離れた分だけ相手の全体像がはっきり見えてくるため、Aの心理や弱点を研究することができたのです。
ブログを書くことで冷静さを保てた
このブログを始めた一年前は、まさにそんな時期でした。「人間関係」のタグをふってある記事は、ほぼAのことを書いたものです。
ブログを書くことで自分の心が落ち着き、いろんなことをじっくり考えられるようになっていきました。
文章を書くためには心と頭をいったん切り離す作業が必要です。
苦しい、悔しい、理不尽さに腹が立つ。
それらのドロドロとした感情の一つ一つを咀嚼しながら別の言葉に置き換える作業をする中で、おのずと自分はどうすべきかが見えてきました。
相手はサイコパスだから、どんなに外面がよくてもいつかはバケの皮が剥がれる。いずれ周囲の知ることとなり勝手に自滅する。因果応報は必ずある。そう願い、信じ続けました。
今まさに、少しずつ、少しずつ、そうなりつつあります。
救いの手
Aとの関係が悪化し、嫌がらせを受けるようになってからというもの、私は関係者に一切口外しませんでした。周囲を巻き込んで大騒ぎになることだけは避けたかったのです。(結果的にはそれが良かったのですが)
黙っていた理由はもう一つあります。口論だけではAの悪どさを証明するための証拠が掴めないと思ったので、口論の場をLINEに置き換え、「文章」という動かぬ証拠を残すことに成功したのです。それがあったから今までずっと黙っていられたのです。
味方を作りマインドコントロールする
一方証拠を握られたAはその逆。焦りまくった挙げ句、まず数人の味方作りを開始。自分を被害者ポジションに置いて私を悪者に仕立て上げ、その人たちを使って私の悪口を拡散し始めました。
Aにマインドコントロールされて露骨に態度を変えてきた人、それまで親しくしていた人たちが手のひらを返すように私から離れていくのを目の当たりにしたとき、なんとも情けない気持ちになりました。
でも物は考えよう。そんな人はこちらのほうから願い下げです。
同じ穴のムジナ。「その程度の人なのか」というバカ発見器の指針になりました。
金を積まれたって、もう二度とそんな人たちと関わりたくはありません。
でもそんな人たちばかりではありませんでした。地獄に仏。私を信じてずっと変わりなく付き合ってくれる人もいました。今後私はそういう人とだけ交流しようと心に固く決めました。
悔しがるだけの価値もない
ある日、その中のひとりから「なんで黙ってるの?悔しくないの?」と聞かれました。
私が黙ってるのはそんな程度の人間と同じ土俵で戦いたくないからです。少なくともその人に挑発されて悔しがるのはAと同じレベルであることの証明で、ガキのケンカです。
そのほうが自分にとっては最大の恥です。
それを伝えると不思議そうに「ふーん」と言ってました。その人にしてみれば、私が逃げているように見えたのかもしれません。でもそうではありません。
「悔しくないか?」と言われれば確かに悔しいです。でもそれ以上に「そんな相手のために悔しがってあげる時間がもったいない」という気持ちの方が勝りました。悔しがる時期も絶望する時期も、とうに過ぎています。
自分の気持がここにまでに至ってしまえば、私から離れていった人たちに対してなんの未練もありません。
だからでしょうか。その後彼女たちが何をしても、なにも感じないのです。
すでに私の中では無関係のアカの他人、道端に落ちている石ころ同然程度の位置づけです。
このころ漠然と「いつかは本当のことをみんなに話さないといけない時期が来るのかも……」と考えたりもしてました。
そのチャンスは思いがけず突然訪れました。
嫌がらせを黙って見ている人ばかりじゃない
ある一大プロジェクトから私は外されました。その決定に私は黙って従いました。「こんなところ、未練はない。それならそれでいいや」くらいに感じていたからです。
でも周囲は黙っていませんでした。「なんで蒼さんが?」と納得できず、騒然としました。
昨年私はそのプロジェクトで結果を出し、チームに貢献したのに外されました。
一方のAは結果も出さず、貢献もできなかったのにチームに残りました。
それをみんながおかしいと言い始めたのです。その流れはうねりとなり、やがて私への強い追い風へと変わります。
その決定に納得できない人たちが動き始めました。口火を切ったのはいちばんの長老です。
「だったら私もこんなところは辞める!こんなおかしなことばかりして、若い人を潰すのか!」
その人が辞めればそれに続いて辞める人が数人出てきます。それを恐れたのか、私は無事に元のチームに戻されました。
私が外された原因は、私と同じチームではイヤだとAがごねたからです。ふつうに考えれば、外されるべきは年上で結果も出せなかったAだというのに、Aの一方的な言い分だけで決定したのです。
その長老は「蒼さんと同じチームが嫌なら、Aの方が抜ければいい」とまで言ってくれました。
心ある人は必ずいる
私が元のチームに戻るやいなや、Aを除く別のメンバーは、みな心から喜んでくれました。ただ1人、終始不機嫌そうな顔をしていたAの表情が印象的でした。負け惜しみなのか、昨年の結果についてもグダグダ言ってました。
それを聞いていた人はこっそり私に耳打ちしてこう言いました。
「負けるなよ」
これからは、自分がしたことの報いをアンタが受ける番だよ
私は密かにほくそ笑みました。
全てを打ち明けた
後日、私のためにそこまで言ってくれた長老にだけ感謝の念を伝えた後に、今まであったことの全てを打ち明けました。
今まで何を言われても何をされてもずっと私が黙ってきた理由も含め、包み隠さず全てを伝えました。
そのご長老、裏表があるAの人物像にそろそろ気づき始めていたため話は早かったです。こちらの話をおおかた信じてくれました。
最後に
これがこの一年のざっくりとした流れです。
- 距離を置いて相手を観察し、手口・特徴・弱点を知る
- 心を冷静に保つ工夫──私はブログで考えをまとめた
- 挑発に乗らず、どこ吹く風を装いながら自分らしく堂々と過ごす
- 人間関係の断捨離
- 追い風は見逃さない
- 誰も頭が上がらない人物にだけ時期を見て全てを打ち明ける
今後どうなっていくのか、まだまだ見通しは立ちません。
でも一年前の孤立無援な状態、居たたまれない状態からは一歩前進したように感じます。早く決着をつけたいけど、私の手を煩わすことなく、いずれ害虫は勝手に自滅していくでしょう。その日を信じて、今までどおりポーカーフェイスを貫きます。