近年増え続けてると言われている自己愛性パーソナリティ障害。もしターゲットにされ、陰湿な嫌がらせを受け続けたらどう対応したらいいのでしょう。
私は数年前から元小学校教師による陰湿な嫌がらせを受け、その人から逃げるためにあるスポーツ競技で所属してたクラブを辞めました。
それから一年。つい最近になって再び私の前に表れ粘着するようになりました。
前々から何らかのパーソナリティ障害ではないかと疑いさまざまな文献を調べてきました。その結果、自己愛性パーソナリティ障害の特徴がいくつも合致することと、尋常ではない執念深さを判断する限り、彼女は間違いなく自己愛性パーソナリティ障害です。
自己愛への対処法
ざっくり言えば以下の6つ。
- 逃げる・関わらない・精神的な距離を取り無関心を保つ
- 戦わずに自滅に追い込む
- 戦うなら相手を貶めるためでなく、自分を守るために戦う
- 相手の特徴と弱点を知る
- 自分の評判を高める
- 自分の心を守る
逃げるが勝ち
自己愛性パーソナリティ障害を持つ人が身近にいた場合、多くは①の「逃げるが勝ち」と言います。
確かに、悪意ある攻撃を受け続けて精神がすり減らされる前に、逃げられるなら逃げた方が傷は浅くてすみます。
相手は単なる「ウマが合わないイヤな人」はなく、専門家さえ手こずる「病人」です。バシッと線を引き、できるだけ逃げましょう。
百害あって一利なし。深入りして得るものは何もないので、逃げるのが王道です。
しかし物理的な距離が取れない場合、例えば職場や学校などどうしても辞めたくない・辞められない事情がある場合、私のように一度は逃げて物理的な距離を取ったにも関わらず、しつこく追いかけてくる場合はどうでしょう。
私は、今回ばかりは自分が去るという方法を取りたくありません。②の戦わずして相手が去っていくように仕向けたいです。そのくらい、今の場所は私にとってたいせつな場所です。
ただし力ずくでねじ伏せたり、わざわざ陥れようとせず、彼らと同じ方法で対抗するよりもずっと労力を少なくして、自爆の方向に導いていきたいのです。
そのためには相手の代表的な特徴を知っておきましょう。
自己愛の代表的な特徴
外面の良さ
自己愛の何が厄介かと言えば外面の良さです。
表向きの顔だけ見れば「感じのいい人」「穏やかな人」との評判をもつ人や、社会的に成功しているような人が、実は自己愛性パーソナリティ障害だったというのはよく聞く話です。
彼ら彼女らは「自分が悪い」と考える能力が欠落しているだけで、その他の人間的機能は正常に備えています。IQも正常だし、素顔を隠す術にも長けてます。
利害が絡むと本性を剥き出すので、時間の経過と共に化けの皮ははがれます。しかしほとんどの人は表面の魅力的なところしか見ていません。
素顔を知っているのはターゲットだけなので、周りにバレず本人にだけわかるような「陥れ攻撃」をしつこく繰り返します。
ただし自己愛は底が浅く近視眼的思考なので、やることは幼稚で短絡的。しかも感情のコントロールができないのかキレやすい。
そのためやがて周囲も少しずつ疑い始めます。もしチャンスがあるとしたらこの部分です。「まともな環境なら」の条件付きですが。
不健全な自己愛
自己愛性パーソナリティ障害者の持つ自己愛は、相手を貶め潰そうとする不健全な自己愛です。どんな人でも持っている自分を愛おしむ健全な自己愛とは全く違い、人として最低限持ってなければならない根本的なものがスッポリと欠落してるのが特徴です。
その欠落した空洞を他者からの賞賛で埋めようとします。そこに逃げ込むしか自分を守る術を知らないのか、誉められるためならなりふり構わず貪欲に行動します。そのための努力も惜しみませんし、影響力のある人の目を意識して「頑張ってる自分」をアピールしまくります。
異常にプライドが高く根拠のない自信を持ち、悪びれることなく嘘を吐いて周りを巻き込み、ターゲットを追いつめて自分がのし上がろうとします。
人を利用する
特別扱いを求めて有利な立場を得ようと裏工作に励み、有力者にはいやらしいほど媚びを売りまくります。
本来自分に自信がなく、他者と真の信頼関係を持つことがなく、自信がない割には勝ち負けだけの世界にいるからこうなってしまうのか?
他人を貶めることばかり考えているからこうなってしまうのか?
これらを見る限り、自己愛者は幸せとはほど遠い状況にあるように感じます。幸せを感じるのは他人を踏みつけた時だけ。だからターゲットを常に求めるのです。
いずれにせよ自己愛者は自分とは全く違う生物であるという認識を持つ事がだいじで、それこそが自分の心を守るコツだと言えます。
良心を持たない
自己愛者は自分がどれほど卑怯でも、微塵にも罪悪感を抱きません。
都合の悪いことが起きると謎の脳内変換をして「私が被害者、私は悪くない、私にこんなことをさせたアイツが悪い」の一点張り。二面性を使って巧みに情報操作を企て、被害者が悪者になるように仕向けます。
対等な関係であったとしても目を血走らせながら「自分の方が上だ」という態度を示してきます。そのためならターゲットを貶めることに戸惑いも罪悪感もありません。それが「良心を持たない人」と言われる所以です。
この誤変換が自己愛性パーソナリティ障害者の特徴です。生きづらさを抱えた彼らはこうやって自分の心を守ろうとしているのかもしれません。
弱点を知れば恐れる必要はない
数年間に渡りしつこく自己愛者に粘着されて気づいたのですが、あるときふと相手がターゲットである私をけなす点に、自己愛者自身の劣等感が潜んでいると感じることがありました。
それから注意深く観察してると、日頃よく口にする言葉にも自己愛者が抱えるコンプレックスや強いこだわりが潜んでいることにも気づきました。
口から出てくる呪いの言葉は、だいたいその人の内面を表しています。私に向けられた言葉のようで、実はそうではありません。
自分の評判ばかり気にして、それより評判の良い私に嫉妬して卑怯な手を使って貶めようとする卑小な姿を、尊大な態度で誤魔化していただけ。
「悪口は自己紹介」——そう考えると、この人だけなら必要以上に恐れる必要はないと思えるようになりました。
真の姿を知ってる私が怖くて仕方ないのです。
傍観者も加害者と同じ
しかし自己愛はまわりを巻き込んでターゲットを苦しめます。私が本当に絶望したのはそんな周囲の傍観者に対してです。
前の環境では周囲がその罠に惑わされて無意識のうちに加害者側になってました。病気の人が異常でも落胆しません。
しかしまともなはずの人まで異常者と同じになっていた事実を目の当たりにしたときの情けなさは言葉にできませんでした。
いつしか環境そのものにも大きな問題があると考えるようになり、次第に心を閉ざすようになりました。
そんなこんなで被害者である私を周囲が偏見の目で見ていることに耐えられず、私はクラブを後にしました。でも今の環境は違います。いずれは自己愛自身が自滅するか淘汰されるかでしょう。
そのくらい今の環境は風通しがいいし、集う人も常識的な大人ばかりです。互いの立場も関係性も前とは違います。
どうやって自分の心を守る?
今、自己愛から攻撃されていて辛い思いをしてる人に言葉をかけるなら、「自分の心だけを守ってください」ということ。
悪意ある攻撃と傍観者の視線に耐えることは簡単なことではありません。経験済みなのでその苦しさは誰よりもよくわかります。
でも挫けないでください。
私はこれをきっかけに相手と離れていた一年をかけて、自分にとって何が大切かをじっくり考えるようになりました。
それは心身の健康、自尊心、穏やかな生活、愛する家族や友人たちとの心の交流。
それらは誰にも奪うことができません。他者への共感、心、情など、人間の大切なものを捨てた自己愛者にはこれらがただのひとつもなく、常に孤独です。
逆に言えばこれが自己愛の最大の弱点です。だから空虚な内面を満たすために他者を貶めようとするのです。ガスライティングなど、次から次へと卑怯な手を使ってくるでしょう。
しかし気持ちの面まで振り回されてしまうと心が疲弊して自己嫌悪に陥り、相手がほくそ笑むだけです。模範的行動を続け、別の「尊敬できる人」に注目するようにしてた方がいいです。
弱みを見せない
再び会うことになりましたがその攻撃の最中、無抵抗の相手にはとことん舐めてかかる相手の特徴を熟知してるので「オマエなんか怖くない。やられたらやり返すぞ!」という強烈なオーラを出し、心の中では大切なものだけを思い浮かべて遠くを見据えていると、私の心は不思議と自由になりました。力も沸いて恐怖もなくなりました。
どんな挑発にも乗らず、心を閉ざさずアンテナを張り巡らし、周囲との人間関係やネットワークを円滑にし、低俗な悪意を向けられたら涼しい顔して明確な証拠を集め、あとはせっせと自分の信用を高めることにだけ尽力してください。
まともな環境ならそれだけで相手は自滅していくはずです。