「いい人」が友だちに利用されてしまう理由

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    「いい人は都合のいい人」と言われてます。

    友だちであることを利用して「友だちならやってくれて当然でしょ」と、「あれをやれ、これをやれ」と、お願いという体の命令から始まり、しまいにはお金の要求までしてくる人にとって、「いい人」こそ利用価値大。絶好のカモです。

    この手のタイプは人を支配することに喜びを感じ、平気で人を利用する自己愛なので、逃げるが勝ちです。

    しかし一方で自分が利用されていることにまったく気づかず、それどころか、「友だちなら頼まれたらやるのが当たり前」「悪く言われたらかばってあげるのが友だち」とばかり、嬉々として自ら進んで利用されにいく人がいるのも事実です。

    「友だちを利用する人も嫌だけど、うまく利用されてることに気づかない人はもっと嫌」というのが正直な感想です。

    蒼 じゅりあ

    見ていてイライラする。
    なんで利用されてることに気づかないの?
    「人がいい」を通り越して本物のおバカなの?
    あなたの目は節穴?

    と、聞きたくなります。

    平気で友だちを利用する人は、想像以上に一枚も二枚も上手です。

    他者への共感能力が乏しい上に、自分は特別な存在だと思っているため、過度な要求をすることに、これっぽっちも罪悪感を抱きません。「この人なら自分の頼み事を断らないであろう」ことを想定の上で頼み事をしてくるのです。

    やがてそれが当たり前になれば、相手の要求はどんどんエスカレートします。

    要はすべて計算づく。

    こうなってしまえばどこからどう見ても利用されてることが周囲にバレバレなのに、なぜ当の本人は自分がいいように使われ、利用されてることに気づかないのでしょう?

    その理由を考えてみました。

    Contents

    思考停止の八方美人

    誰からでも友だち思いのいい人と思われたい、ケチな人とだ思われたくない人というのは、多少理不尽な要求でも、引き受ける筋合いのないことでも「いいよ、いいよ」と引き受けてしまうことがよくあります。

    理由はいくつかあるでしょうけど、そのひとつとして挙げられるのは、断ることのリスクが頭をよぎるからです。断って相手の気分を害すくらいなら、多少面倒でも、無理をしてでも引き受けてしまった方が、自分にとって楽で得だと考えるからです。

    この手の取り巻きタイプの人は、自己愛特有の傲慢な態度をリーダーシップだとかんちがいし、「グループのリーダーはこの人だから、この人に従っておいた方が得」という短絡的な思考を持ち合わせています。

    自分の考えや意見を持たない人ほど楽を選び、得を選ぶ。

    本人にとってそれが処世術のつもりかもしれませんが、世間の評価は違います。嫌われることを恐れてやる筋合いのないことまで引き受けてしまう人のことを、ええかっこしいの「八方美人」と冷ややかな見方をしがちです。

    仮に表向き、「なかなかあそこまでできないわよ。親切な人ね」と言ってても、内心では「おだてればなんでも引き受けてくれる人」と、軽く扱われる可能性は大。

    それだけでなく、それが続けば「いい人」から「都合のいい人」に変わり、最後には「計算高い調子のいい人」となってしまいます。

    やはり、何事も限度がだいじということでしょうか。

    人付き合いの免疫がない

    どんなに交友関係が幅広い人でも、学生時代の友だちに関しては、つい甘い見方をしてしまうことがよくあります。

    その理由は、「昔から知っている人」、「身元がはっきりしている人」という安心感が先立つからです。

    ただ冷静に考えれば、学生時代は人付き合いに関して免疫がないも同然。よって人を見る目もそう高くはありません。その時はよく知ったつもりになってたとしても、実のところはあまりよく知らなくて、ほんの一面を見ていただけに過ぎず。大人になってじっくり付き合ってみたら「意外な一面があった」というのはよくある話です。

    昔の友だちに会うと、懐かしさと共に当時に戻ったようなある種の特別な感覚を抱きますが、それぞれが当時とはまったく違う人生を歩んできている以上、昔とは違うスタンスで付き合うことがたいせつです。

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    友だちの定義が曖昧

    仮に学生時代に担任から「みんなで仲良くしましょう」なんて教わってきたとしても、当時と大人になった今は違います。

    本来対等であるはずの友人関係を、上下関係にしたがる人がいるのは事実で、持ちつ持たれつで助け合うのと、他人を利用し、一方的に自分の利ばかりを追求するのは天と地ほどの違いがあります。

    そもそも、利用する人はほんとうに友だちなのでしょうか?

    頼み事をされて頼られている・信頼されていると感じていい気持ちになったとしても、その頻度と内容が、許容範囲内に留まっているものか、常識的なものかどうかを考えれば、おのずと答えは出るはずです。

    友だちの頼みだからと安易に引き受けてしまう人ほど「友だちとはなにか」の定義が曖昧で、「もしかしたら本物の友だちと呼べる人がいないのか?」くらいに思ってしまいます。

    大人になった今は、誰とでも付き合う必要などまったくなくて、誰と付き合うかは自由です。

    「友だちとは仲良くすべき。友だちには親切にすべき。友だちは助け合うべきもの」といった「べき思考」の前に、友だちの定義を見直す必要があるのではないでしょうか。

    ちなみに「一方的な関係を、友だちとは呼ばない」、「友だち関係を利用して自己の利ばかり求める人は友だちではなく、友だちのフリをした敵=フレネミー」というのが筆者の友だちの定義です。

    利用され続けた人の末路

    さてここからは筆者の周囲で実際に起きたことです。

    同窓会で不正を働いた幹事グループのリーダー格・A子は同級生相手に飲み会の席で金儲けをする旨味をすっかり覚えてしまったようで、その後知り合いのスナックを手伝うようになりました。

    スナックといっても所詮素人が小金欲しさに思いつきで始めたにすぎず、コンセプトもポリシーも皆無。

    「飲み物・食べ物持ち込み自由」と調子のいいことを言ってるけど、仕入れをするお金をケチっているだけ、食べ物を出そうにも料理ができないだけ、というのは周囲にバレバレ。

    飲み物・食べ物を同級生たちに持ち寄らせ(もちろん金は同級生負担)、席代として一人につき数千円をせしめるその手口を目の当たりにした人たちは、ようやくA子の本質がわかり「もう関わりたくない」と言い出しました。

    金蔓の同級生

    同級生を金蔓だと思ってる!
    友だちを利用するのもいい加減にしろ!

    ほとんどの人がA子の金の汚さにうんざりする中、それでも尻尾を降ってせっせと通い続けるめでたい人(B氏)がいるのです。

    B氏はこれまでも仲間内で評判の悪いA子をかばいながら、なんとかA子をみんなの仲間として受け入れさせようとしてきました。

    しかし、今後はもう無理でしょう。

    みんなは「B氏がどうしてもA子と付き合い続けるなら、今後は二人とも排除する」とまで言い出したのです。

    A子にうまく利用された挙句に、他の同級生たちからも排除されようとしているB氏。

    慌てて今からA子と距離を取ろうとしても、一度できあがった関係を崩すことは難しいと思います。

    A子

    B氏は絶対に私を見捨てない!

    なんたって「B氏は思考停止してる”いい人”で、自分を絶対に裏切らない忠犬」だと、そこまで見越してA子は彼を取り込んでいるわけだから、今後もB氏はA子にうまく利用され続ける哀れな未来が予想できます。

    そしてそれを周囲は、「自業自得」と冷ややかな目で眺めることでしょう。

    最後に

    人付き合いにおいて、道徳本に出ているようなもっともらしい理想論も「べき思考」もなんの意味も持たない現実が、世の中にはゴマンとあります。

    いくら同級生でも友だちでも、心地よい距離感はだいじです。

    ぐいぐい人のテリトリーに入り込んできて、「私が私が!」と、強引に上に立とうとする人には、いくら「友だち」であっても要注意ですね。

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