Essay

群れると強気になる人の末路。因果応報はある?

群れると強気になる人の末路。因果応報はある?

女同士によくある派閥。その中でも特にやっかいなのは、どこかに属すとやたら強気になり、感謝の心を忘れて横柄な態度を取る人。さんざん世話になっておきながら、強力な後ろ盾ができたと思ったとたん、後ろ足で砂をかけても、群れればへっちゃらという人がいます。

群れたことで強気になり、少しくらい失礼な態度を取っても許される存在だとかんちがいするのです。

そういう人の末路はどうなるのかと、ふと考えてみました。因果応報はあるのでしょうか。

群れたらとたんに感謝を忘れる人

常日頃、なにかとよくしてくれた先輩・Aさんが、昨日はプリプリと怒ってました。

あるイベントの人集めに奔走する中、今まで同じチームから出ていた人たちがコロッと態度を翻し、別のチームから出ることを知ったそうです。早い話が露骨な裏切り。

「今まで散々、人に世話になっておきながら…」と、Aさんは激怒してました。

そう、Aさんは本当によく面倒を見てくれました。私たちが困らないように、影で色んな人に声をかけて人を集めてくれてたことをよく知ってる私は、その悔しい気持がよくわかります。

よほど悔しかったのか、(裏切った人たちの)最近の態度は横柄だとか、先輩に対してありえないとか、まぁいろいろ愚痴ってました。

「その程度の人だと、はっきりわかっただけいいじゃない」と、私はAさんにはそう伝えました。

でも内心は少し違います。やっと気づいてくれる人ができた喜びが勝ってます。

失礼な人は幼稚な人。対抗策は無視ではなくスルー力しかない
失礼な人は幼稚な人。対抗策は無視ではなくスルー力しかない失礼な人ってどこにでもいますよね。 ネットには「失礼な人に言い返す方法」や、対応策についての記事が散らばってます。 でも私か...

いくら失礼な人を戒めたところで、自分が変に恨まれるくらいなら、失礼な人は失礼なままにさせておいて、とことん「私は嫌な人物です」という看板を掲げさせ、その看板を一人でも多くの人に見せつけるのが賢いと思いました。

と書いたように、「嫌な人物」の看板に気づいた人がここにいるとわかったからです。(同じ人物です)

私はもともとそういう人だとわかっていたので、裏切り行為くらいは、いかにもやりそうだと思い、特に驚きません。

外ヅラだけは異常に良いので、こういうことでもなければ、なかなか他人は気づきません。だからこそ「やっと気づいてくれたか!」という、喜びにも似た感情が芽生えたのです。「別ルートからの弾圧を食らう引き金」の第一歩が到来した気分です。

信頼は少しずつ確実に失くしていく

このような人物の末路を考えてみます。

恩を受けても平気で裏切る人は、少しずつ確実に信頼を失います。ただし一気に信頼を失くすようなヘマはしないので、それなりの時間はかかります。それまではまともな判断力を持つ人の存在を信じて待つしかありません。

でも私やAさんのように、ちょっと関わっただけで「ふつうではない。教師によくあるサイコパスっぽい人だな」という違和感をすぐに抱いたくらいですから、信頼を失くすのは時間の問題でしょう。

人は物

サイコパスの傾向がある人は、人を物のように扱います。人に対して感謝の心がないのもそのためです。

利用価値のあるなししか判断基準がないため、今属している群れに利用価値がないと判断すれば、今回のようにかんたんに裏切るでしょう。それに対する罪悪感もありません。

だから今、属している群れの中から、第二・第三のAさんが生まれると予測してます。

因果応報はあるか?

このような話題になると、因果応報はあるのかという話は必ず出ます。

因果応報は「人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」ということで、自らを律する仏教の教えです。

しかしサイコパスにとって人は物だから、利用価値がなくなれば捨てるのは当然と考えています。自分のしたことを「悪い行い」とは考えません。「そんなのは当然」くらいに思ってます。

上手くいかなければ被害者意識丸出し

人は常に順調ではありません。例えば何かで窮地に追い込まれたとしましょう。

そんなとき、誰の目から見ても「因果応報」の事態であっても、当の本人は過去の行いを省みて「そういえばあのとき、私がこんな酷いことをしたから、今、その報いを受けている」とは間違っても考えません。そんな悟りは開きません。

「なんで自分だけが?」という被害者意識の塊と化して、自分を窮地に追い込む者に牙を剥きます。

だからこの手の人物にとって因果応報という思考は、いちばん遠いところにあるのです。

末路はこうなる

だとしても、私は因果応報は必ずあると考えてます。

先輩・Aさんは「狐と狸の化かし合い」と言ってました。

私はその本質に気づいたことが最大の収穫だと思うのです。狐や狸はあっちの世界で勝手にやってろよという感じ。

その末路?

以下のリンクはとても参考になるので、ご紹介します。

クラスの中でも気が強くてリーダー的な生徒が、いじめられる側に回ってしまうことがあるんです。「あの子のこと、本当は嫌だったんだよね」という声がクラス内で大きくなってきて、ある時リーダー的な生徒が少数派になってしまう。強かったはずなのに意外に弱くて、学校に来られなくなってしまったり……。

いじめっ子がいじめられる側になるという話はよく聞きます。特に化かし合いばかりしているような狐や狸の世間では、当然起こりうるでしょう。彼らの関係がいっときうまくいったとしても、最終的には野生同士の共食いになるからです。

よって信頼関係はおろか、人並みの平穏など皆無です。それが彼らにもっともふさわしい因果応報です。

なのでそういう異次元の人は放っておいて、自分が幸せになることだけを考えるのが賢いです。それもまた、「よい行いをすればよい報いがある」という意味での因果応報になるからです。以上。

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蒼 じゅりあ
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サイト名の「Un Jour」とは、フランス語で「ある一日」という意味です。日々の記録・エッセイをまったりと綴っていきます。

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