飲み会や同窓会などで、幹事が横領やピンハネなど、不正なお金の取り扱いをしてトラブルになるといった話をたまに聞きますが、まさか自分たちがその被害に遭うとは思ってもみませんでした。
私の場合は同窓会です。
不正を問いただすとまさかの逆ギレ
少し前、幹事たちが「余った会費で打ち上げをしたらしい」との噂が流れてきました。
思いきって何人かの幹事に直接確認したところ、悪びれる様子もなく、みんなで使ったことをあっさり認めました。
そのやりとりで俄然としたのは以下の6点。
- 余った会費を使い込むのは幹事の特権
- 自分たちは悪くないと思い込んでいる
- 大変な思いをしたので返金する必要はない
- そんなことくらいで文句を言われるのは心外
- お金を返してほしければ連名で直接言ってこい
- 誰が文句を言ってるのかと犯人探し
どっちが犯人なんだか、「盗人猛々しい」とはまさにこのこと。
話が進むにつれ、すっかり頭に血が上り、冷静な話し合いなどできない状態となりました。
「そんな程度で文句を言う方が悪い」と、まるで自分たちが被害者になったつもりでいるのかと思うほどの逆上ぶり。
要は「面倒なことをやってやったんだから、感謝しろ。ご苦労様代くらい当然だろう」という意識のようです。
それに対しこちらは務めて冷静に、「会計報告もせず、他人の金を許可なく無断で着服したあなたたちの行為は横領です」と簡潔に伝えたら、やっと黙りました。
ちなみに逆ギレとは、悪い方の人間が怒ることで、痛い所を突かれてヒステリックになる行為をさします。一種の責任転嫁ですね。
無断着服を不正行為だとは思ってない様子
幹事たちの慰労会は最初からの計画でした。「余った会費を返すのは面倒だから」というのがその理由です。
「残してもしょうがない、みんなでパーっと使っちゃえ」みたいなずさんな計画のもと、出席者からは打ち上げ代捻出を目的とした上乗せで、実際よりも多めに徴収。
不正に取得した合計額は、なんと20万近くもあったようです。
この”みんなで”というのがまた悪質で、ほかの人を巻き込んで共犯者にしてしまえば、「悪いのは自分だけではない」と責任の軽減を計れるとでも思ったのか、いざとなればかばってくれるとでも思ったのか?
実際、浮いた金のおこぼれに預かった人は、必死になって正当化してました。
「余ったお金があるから飲みに行こうよ」と言われたから行っただけ、みたいな、聞くに耐えない、どこまでも身勝手で、胸糞悪い言い分でしたが。
そこまでしてただ酒飲みたいの?
どんだけ乞食なの?
では巻き込まれて共犯者に仕立てられた人に罪はないのでしょうか。
私は彼らにも大きな罪はあると思ってます。
犯罪行為を止める立場にありながら止めなかった。しかも余ったお金の存在を承知の上で一緒に使ってしまったとなれば、「私は悪くない」と主張するのは無理筋です。
幹事として当然の権利?
無関係な第三者にこの件を相談すると、「裏金自民党みたいなことをやってるね」と呆れられるのですが、当事者たちはなぜ自分たちが悪く言われてるのかが全く理解できてない様子です。
それどころか、「自分は悪くない」という点に関してはすがすがしいほど一切の迷いがなく、お金を返さないのは幹事として当然の権利くらいに思っています。
口さえ開けば自分たちがどれだけ大変な思いをしてきたかを延々と繰り返し、開催するために何度も集まり、そのつど持ち出しもあったので、「少しくらいは使い込んでも当然だ、文句を言うな」と主張し、挙句「誰が文句を言ってるんだ?名前を出せ」とまで言い放ちます。また横領を指摘しても、「確かにやったけど何が悪いの?」と開き直り、ふてぶてしくなります。
このタイプはプライドが非常に高く、思い込みが激しい点が特徴です。だから正々堂々と「私は間違っていません」と主張するのです。
どう考えても批判されても仕方ない立場なのに、あたかも批判した人を「悪」のようなバカにした言い方で、完全に加害者のくせして被害者のつもりになってます。
なので全く話は噛み合いません。
そもそも「文句を言ってる人の名前を出せ」と言い放つ意味がわかりません。犯人探ししてるつもりなら大間違いで、出席者全員が横領の被害者です。犯人探しをしたいなら、鏡で自分の顔を見ろってな話。
なぜ噛み合わないのか?
なぜ噛み合わないのか、その理由を考えてみました。
もしかして「幹事は感謝されて当然」と思い込んでいるのかも…?
そう考えると辻褄が合います。
感謝されて当然なのに、お金を返さないくらいで文句を言うなんて許せない。
嫌なら参加するな!
その金額で納得して払ったクセに、ご苦労様代に使うくらいで、グダグダ言うな!
全ての権限が幹事にあり、いくら徴収しようが、残った金をどう使おうが、幹事の権限だ。
でも怒るポイントがズレています。
幹事をやっているのであれば、色々手配などをしてくれているのでそれくらいの特典があってもいいとは思いますが、出席者のお金である以上、余ったお金をもらえるかどうか、そのお金を幹事のご苦労様代に使っていいかを決めるのは出席者全員です。
お金のことについても、幹事だけが知っていればいいというものでもありません。
報告もせず、他人から預かった金を、大変な思いしたから無断で使っていいだなんて、そんな理屈は通りません。
そもそも「幹事をやって大変だ」と言うなら、最初から引き受けないという選択もあったはずです。
でもそれをせず、堂々とご苦労様代を請求して許可を得ることもせず、コソコソと仲間内で使い込み、それがバレたら開き直ったり、「酷いことを言われた」などと被害者ポジションを取る神経が理解できません。
マナー違反の範囲を超えた暴挙
どんな集まりでも明朗会計は当然です。まして100人近くも集まる同窓会で、こんなアバウトさはありえません。
平気でそれができるのは、他人のお金を軽く考えてる証拠で、思い上がりもいいところです。だから「このくらいのことで」と、平気で言えるのです。
「返さなくてもいい、残りの金は無断で勝手に使ってもいい」と屁理屈を捏ねるのは、「騙される方が悪い」と言い切る詐欺師の思考回路と同じです。
つまり話が噛み合わないのは、詐欺師と被害者の言い分がどこまで行っても平行線を辿るのと似たようなものです。
そう考えれば全ての辻褄が合います。
お金に対する姿勢は見逃せない
同級生といえど、まともに向き合う価値のない人はいるのだと、この件で思い知りました。
正論を言うと「暴論」と言われ、おかしいと思って声を上げた人が保護されないどころかつぶされるシステムとなっている昨今、声をあげるのは勇気がいります。
まして今回のような、言葉を受け入れる基盤のない感情的な人に、いくら言葉を伝えようとしたところで意味不明な幼稚な反発をされ、結局はただの徒労でしかないのだと実感します。
それでも人格が形成され、年を重ねるごとに、若い頃にはそう気にならなかったお金に対する倫理観のズレというのは、自分の中ではどうしても譲れない、見過ごせないポイントゆえ、心の声に正直に、おかしいと思ったらおかしいと声を上げる必要性を感じた次第です。
お金に汚い人は、全てにおいて汚い
「同級生だからこそ、お金のことはきれいにしよう」と考えることなく、逆に「同窓会?よっしゃ、ちょろまかしたろ」みたいなやばい人は、「しょせんその程度の人」として、最終的には信頼をなくして孤立していくはずです。
なので言うだけ言ったその後に、「どう接したらいいだろう?」とは考えずに、向き合う価値のない人には「どうしたらまともに向き合わずにずにすむか」だけを考えるのが、幸せに生きるコツです。
具体的には何かの集まりでもし顔を合わせたとしても、「邪魔なハエが飛び込んできたな。適当に追い払おう」程度で、軽くいなすくらいでいいのです。
大人のいいところは、自分の意思で友だちを選べることですから。