いじめは卑しい人格の表れ

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    定期的に「大人にもなってもいじめ?」とか「大人のいじめ」という話題がセンセーショナルに取り上げられています。しかしいじめに大人も子供も関係ありません。年齢の問題ではなく歪んだ人格の問題です。

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    いじめは卑しい人格の持ち主が行うものです。

    では卑しい人格とはどのようなものでしょう。「卑しい」というのは「意地汚い・過剰な欲深さ・下品・いやらしい」と同義語で、その人格は主に行動・言動・思考・感性・顔つきに表れます。以下で特徴をご紹介します。

    Contents

    いい人ぶる

    世間体をなによりも重視するので、自分をいい人に見せかける演出には余念がありません。そのための努力は惜しまず好印象につながる目立つことなら率先して行動に移します。

    しかしその一方、目立たないこと・人に気づかれにくいものに対しては、あれこれ理由をつけてうまく逃げます。

    しかも逃げておきながら安全地帯から偉そうに批判するというおまけ付き。「何もしない人ほど批判家になる」と言われてますが、まさにそれ。なぜ他人の批判が好きかというと、他人下げした後に自分上げアピールができるから。

    これは卑しさの定義にある「過剰な欲深さ」に当てはまります。「いい人」に見られたい過剰な欲求の表れです。

    自分がない借り物人生

    「いつも正しい人」に見られたい表れなのか、言うことはまるで道徳本に載ってるような正論そのもの。

    決まりきったきれいごとや理想論を得意げに語るも、実は有力者の受け売りというのが容易に想像できてしまう陳腐さです。

    自分の言葉で語れない、言葉に全く重みがないということは、自分がない証です。自分がないから有力者の言葉を借り、庇護を求めてその力にすがろうとするのです。これも「正しい人」に見られたいあまりの「過剰な欲深さ」の表れです。

    極端な二面性

    上下関係に並々ならぬこだわりを持つからなのか、有力者からの引き立てが欲しいからなのか、有力者に対しては自分を卑下していやらしいほど媚びへつらい、必死になっていい子ぶります。

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    しかしその一方で、自分の得にならず、下と見なした人に対しては横柄に振る舞います。重箱の隅をつつくようなあら捜しは日常茶飯事。どうでもいいようなことをあげつらって人格否定や侮辱を繰り返します。

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    傲慢な態度・横柄な態度で偉そうに振る舞えば、自分が有力者になれると勘違いしているのかもしれませんね。こんなことをしている限り、永久に人望は得られず有力者にもなれないというのに…。

    そしてこれは「卑しさ」の定義にある「下品」に当てはまります。

    執念深くしつこい

    ひとたび敵認定した相手に対しては本性を表し豹変します。その落差があまりにも顕で演技がかっているのも卑しい人の特徴で、卑しさの定義にある「いやらしさ」に該当します。

    また執念深くしつこいので、いつまででも恨み続けます。

    なぜ恨み続けるのか?

    それは恨みの内容が逆恨みでしかないことを、誰よりも自分がいちばんよく知っている。自分の非を認めたくない。いつも正しい私が間違っているわけがない。

    そんな無視された感情が脳内のアップデートを妨げているのです。

    通常なら何か諍いがあったとしても、ある一定期間が過ぎれば「自分にも落ち度があったかな?」と考え省みて、恨みつらみを少しずつ手放していくものです。

    また嫉妬したとしても、ある程度の時間が過ぎれば「私は私」と意識を切り替えていきます。でも肝心の「私」がないから自分を見つめることができず、「理想の自分」にこだわるも、現実は理想からかけ離れていて、それも認めたくない。

    その結果、嫉妬する相手にしか目が向かず、いつまでも恨み続けるといった悪循環が続くのです。

    嫉妬深い人は、実は自分が嫌い。でもそれを認めたらあまりにも自分が惨め。だから必死になって他人を貶めようとします。努力を放棄した人間にとって自分を嫉妬させる相手を恨んだ方が楽だからそうなるのです。

    そうやって小さないじめを何度か繰り返し、反撃される心配がないと判断すればいじめそのものを楽しむようになります。

    「卑しさ」の定義に「意地汚さ」というのがありますが、意地汚いほどに歪んだ楽しみを求めていきます。もうそうなれば大義名分なんてどうでもいい。いじめそのものが目的となり、隙さえあればターゲットをサンドバックにしたてて陰湿ないじめをつこく繰り返すようになります。自分の快楽のために。

    このようにエネルギー消費を「人を恨み貶める行為」に当てて喜びを得るという、もっとも後ろ向きで効率の悪い使用状況が続く限り、アップデートが正常に行われるはずはないので永遠に自分が理想とする姿にはなれません。

    いじめ被害者は負け犬ではない

    この記事を書くきっかけになったのはあるネットの書き込み。「いじめられるなんて負け犬」みたいな内容だったと思いますが、世の中にはまだ一定数、こういう考え方をする人はいるのですね。これもアップデートの失敗組?

    それ以外にも「いじめられる側にも問題がある」とか「いじめられやすい人の性格や特徴」とか、昭和じゃあるまし、令和の時代になってまで被害者側にその原因を求める風潮がまだ根強くあるのには驚きです。

    このような偏見こそが被害者を追い詰めるセカンドレイプだといいかげん自覚して欲しいです。

    いじめは、それをする側が100%悪いのであって、被害者は決して負け犬なんかではありません。いじめをする人は正攻法で戦えない、戦う前から負けっぱなしの負け犬だからこんな卑怯な方法で人を貶めるのです。いじめは、いじめる側の精神に原因があるのです。

    しかし残念ながら彼ら彼女たちにつける薬はないので、死ぬまでその性格は直りません。そのため被害者は「いじめ加害者とどう向き合い、どう付き合うか」ではなく「いじめ加害者からどう逃げるか・いかにして自分が幸せになるか」を主軸にして考えた方が賢いし効率的です。

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