人がいる限り、いじめはなくならない。
今、陰湿ないじめを受けている方にこう言い切ってしまうと、希望も光もなくなると思いますが、これは事実です。「いじめを無くそう」ではなく、「いじめはあるもの」として対策を練った方が賢いです。
意地が悪い人は死の直前まで憎まれ口を叩きます。「死ななきゃ直らない」とはよく言ったもの。感情に左右される子供とは違い、経験も社会的立場もある大人がなぜ誰得にもならないいじめを行うのでしょう?
それがこの記事のテーマです。実際私の周囲にも、「なんでこんなに底意地の悪い人がこの世にいるの?」と、呆れてしまうような人をたまに見かけます。
そんなとき、よく考えます。
そういうことをして、この人は本当に幸せなのかな?
あなたが今、もし誰かから陰湿ないじめを受けているなら、まず相手の目的について考えてみましょう。するとほんの少しだけ心に余裕が生まれます。
記事の後半では、陰湿ないじめへの効果的な対処法もお伝えします。
脅威を感じている
ひとつの例として、永遠のテーマとされている嫁と姑の問題に目を向けてみましょう。
最近は世間体を恐れてか、露骨な嫁いびりをするお姑さんはだいぶ少なくなりました。しかし嫁と姑の関係は、どんなに時代が変われど多少の確執はつきものです。
なぜ嫁いびりをするのでしょう?
それは、自分の立場が脅かされるかもしれないという脅威が原因です。嫁側に姑を脅かしてやろうという気持ちはサラサラなくても、姑側は違います。白雪姫の構図と同じで「若さ」に対する劣等感や嫉妬、将来への不安があります。
居場所の確保
今はまだ元気でも、確実に年老いていくのは明白で、若さではどうしたって勝ち目がない。
そうなれば自分の居場所がどんどん脅かされると一方的に思い込んで不安に駆られ、最初が肝心とばかり、自分の権力を誇示しておこうという発想になります。
しかしそれは「教育」という名の、実は力関係を明白にして、相手を屈服させようとするマウンティング。「こんな女になめられたくない、バカにされたくない、私の方があなたより上、今のうちに支配しておこう」という思いがこのような虚勢を生むのです。
賢いやり方ではありませんが、自分の居場所確保のための優位性アピールに励んでいるわけです。
いじめをする側に問題がある
職場や部活のパワハラもそれとよく似ています。場所の違いがあっても立場が上の者が弱い立場の者に行ういじめは、ほぼこの理屈が当てはまります。
自身の能力の問題・将来的な不安など、自分の居場所を奪われるかも…という脅威を感じた時に、身近にいる幸せそうな人や、これから伸びようとしている人に嫉妬して、自身の憂さ晴らしのためにいじめを行います。
いじめをしているその時だけは相手よりも上という錯覚が得られるからです。
でもそれはあっという間に消えるいっときの幻です。だからこそ、いじめは延々と続くのです。
このようにいじめの原因は、相手の中にあるもので、いじめを受ける側の問題ではありません。「いじめられる側にも非がある」というのは、いじめをする側の身勝手な言い訳です。
いじめは何があっても、それをする方が100%悪いです。いじめは魂の殺人です。犯罪です。
だから「自分に非があるのかも」と自分を責めるのはやめましょう。それこそ相手の思うツボです。
無責任なアドバイスは無視でOK
親切な第三者を装い、「いじめられないようにあなたが態度を改めろ」的な、見当違いのアドバイスをしてくる人もいますが、それもきっぱり無視することをオススメします。
こんなピント外れのアドバイスに耳を傾ける必要はありません。面倒なことに関わりたくないから言ってるだけなので、ガン無視でOK。
本当に親切な人なら、いじめる側に意見をするはずです。その度胸すらない輩の言葉は無視しましょう。
いじめる側の方がストレスが大きい
ここまでのおさらいです。
いじめる人は、自分では解決できない何らかの劣等感を抱えています。
劣等感と不安はワンセット。不安は日々増幅し、大きな脅威を抱えれば猜疑心も強まります。
やがてそれは怒りに変わり、「私はこいつのせいで恐怖にさらされている!見ているだけでイラつく!」と、自分を脅かす存在を憎むようになります。これが嫉妬のメカニズムです。
もうこの時点で脳内では完全に自分が被害者のつもりになり、その報復措置としていじめをするのです。加害者のくせして被害者ヅラ。それが彼ら彼女たちの最大の特徴です。
こうなれば理由なんてなんでもいい。いじめることのみが目的になり、イヤミの一つでもいえば「してやったり」と気が晴れてスッキリする、かつて自分が受けた仕打ちを立場の弱い相手にぶつけては快感を得るという、不健康な心の状態が続きます。
いわば止められない麻薬のようなもの。
ボディーブローをしつこく繰り返す
いじめは少しずつスタートします。最初からこれぞ「ザ・いじめ」とわかるようなあからさまなことはしません。「これくらいはいいだろう」と思う行為を繰り返しながら相手の反応を確かめます。
具体的な手口としては周囲に気づかれないような小さないじめ(相手にだけわかるように舌打ちをしたり、わざとらしくため息をついたりetc.)をボディブローのようにしつこく繰り返します。
いじめがエスカレートする理由
次第にいじめそのものを楽しむようになります。相手が弱っていく様子を楽しみながらどんどんエスカレートさせていきます。いじめ加害者といじめ被害者が同じ狭い空間にいる限り、いじめはずっと続くでしょう。なんたって相手はドーパミン中毒になっているのですから。
そこに良心がないかといえばそうではありません。罪悪感があるからこそ「いじめてもいい理由」を無理矢理にでも探すのです。正当化して自分を納得させるため、他者への言い訳のため。
また嫉妬している卑小な自分を認めたくないという認知の歪みもあるでしょう。相手も過度なストレスに晒されているわけです。
そのストレスを打ち消すためにいじめる→ドーパミン全開→「してやったり」と快感を得る→もっと強い刺激を求めていじめをエスカレートさせる——この繰り返しです。
知恵を使い正攻法で対処する
それを踏まえて、今度はいじめられたあなたが行動する番です。ただし正攻法で。絶対に卑怯な手を使ってはいけません。それでは相手と同レベルに成り下がってしまいます。
毒に対抗するには更に強い毒を持ってないと勝ち目はないです。自分にそれがないなら知恵を使うしかありません。
1.余裕を見せる
相手の目的は、あなたを100%”悪”にすることで、自分の絶対的な”正しさ”を周囲に証明したいのです。(ついでに自分への言い訳も兼ねながら)
それが相手の目的なので、その願望を決して叶えてはいけません。「私は何も悪くない」と平常心を崩さず、同じ土俵には上がらず、日々正々堂々とした態度で過ごしましょう。
心の中はどうであれ、相手の前では余裕を見せましょう。相手は不安と不満でいっぱい。怒りで頭に血が上り、全く余裕がない状態なので、そんな態度を見せつけられれば、より焦ってカッカするはずです。弱った姿を見せればいじめはエスカレートするだけなので、毅然とした態度を崩してはいけません。怖がるそぶりもしてはいけません。
どんなことについても言えることですが、何かを成し遂げたいと思ったときは、焦った方が、感情に溺れたほうが負けです。怒り狂って子供っぽい態度を人前で見せた方が負けです。
余裕を見せることの利点は他にもあります。相手は自分の攻撃があなたに致命傷を与えているかどうかを確かめたくてウズウズしています。
確かめる手段は攻撃されたときのあなたの態度。もしあなたが挑発にまんまと乗って腹を立てたり悲しんだりして感情的な態度を取れば、自分の攻撃が成功してダメージを与えてやったと気を良くします。
しかしどんなに攻撃されてもどこ吹く風と受け流していれば、相手は自分の攻撃に効き目がなかった、失敗だったと認めるしかありません。何があっても相手を喜ばすようなことをしてはいけません。
あまりにもしつこく絡まれたら「言いたいことはそれだけですか?」「だから?」「ほほう」「それが何か?」など、なるべく短い言葉で効率よくおちょくってさしあげましょう。
2.周囲の目を利用する・証拠を残す
失礼な人は失礼なままにさせておいて、とことん「私は嫌な人物です」という看板を掲げさせ、その看板を一人でも多くの人に見せつけるのが賢いと思いました。
もうこれに尽きますね。周囲の目というのはいじめの抑止力になるし、証拠にもなります。録音・録画・メールなど、物的証拠を残せれば、なおベスト。
どんなに悔しくても、いや、そんな時ほど第三者の目を利用して、あなたは何事もなかったかのように淡々と礼儀正しく接するのがポイントです。どんな時でも大人の対応に徹しつつ、その裏で証拠をできるだけかき集めましょう。
3.周囲の良心を信じよう
いじめる人というのは良心を捻じ曲げて、自分に都合のいい理屈を探していじめを働きます。被害者ぶるのもそれが理由です。
でも、そんなくだらない理屈がいつまでも世間に通用するでしょうか?
陰口ばかり叩いたり、特定の誰かを仲間はずれにするような幼稚な人が、いつまでも世間的に「正しい人」でいられるでしょうか?
答えはNOです。
人はそこまで愚かではありません。「イジメる側にロクな奴はいない」ってことくらい、みんなわかりきっています。
仮にいっときいじめる側が有利だったとしても、いじめは卑しい性根の問題から出てくる迷惑行為でしかないので、いつか必ず歪が生じます。盛大に自爆してボロを出すはずです。その時を虎視眈々と待ちましょう。
見る人が見れば、必ず落ち着くところにストンと落ち着くはずです。第三者の良心と常識を信じましょう。必ず公平な目で判断してくれる人が表れるはずです。信頼に値する、相談できる人物が現れるはずです。
なお相談しやすくするために、どんな細かいことでもいいから記録を残しておきましょう。説明がスムーズになるはずです。
4.時期を待とう
周囲の理解を得るまでがきっと辛くて苦しい時期かもしれません。世界観が狭まり、世の中全てが敵に見えるような時期があるかもしれません。気持ちよく晴れてる日でも、暗いトンネルの中にポツンとひとりぼっちでいるような気分に陥ることもあるでしょう。
でも長い人生において、それはほんのいっときのことです。
一筋の光の存在を信じて、光の指し示す方向に正々堂々と胸を張って歩んでいけば、必ず転機は訪れます。ものごとには”時期”というのがあります。
やがて通り過ぎてしまえば、世の中捨てたものではないと、いつか必ずそう思える日が訪れるはずです。