【群れる女】集団になることで無秩序になる女性のグループ

    【群れる女】集団になることで無秩序になる女性のグループ
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    「仲間はずれが怖い!浮いた存在だと思われたくない!」

    そんな理由から大人になっても派閥やグループなど、なんらかの集団に属したがる女性は多いです。

    女性は群れるのが好き。社会生活を営む以上、集団でいることのメリットは確かにありますが、そのメリットを上回る、デメリットしかない集団もあります。

    こんな記事が目にとまりました。リンク先を辿ると子ども向けになってますが、大人社会にもじゅうぶん通じる内容です。

    参考

    「なんで少数派の人はいじめられるの?」

    人はなぜ、大きなグループをつくって、そのグループに入っていない人をいじめるんですか?

    数の論理(かずのろんり)とは、 政治用語の一つで、少数派との対話を重視せず、意見の集約を行わないまま単純な多数決で結論を導こうとする姿勢であるとされる。

    引用元:数の論理

    Contents

    属してはいけないグループ&派閥

    私がかつて所属してた女性ばかりが在籍する、競技スポーツのクラブがまさにこんな感じで、属してはいけない見本市そのものでした。

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    自分に合わない環境を判断する基準 「新たな世界がもし自分に合わない環境だったらどうしよう…」 自分がこれから身を置く環境と自分との相性はとてもたいせつです。 けれど自分に合うか合わないかはその環境に飛び込んでみないとわからないこと。そのためには、あらかじめ自分に合わない環境とはどんなものかの判断基準を明確にし、その基準に沿ったチェックポイントを定めておく必要があります。

    世間ではスポーツをする女性はさっぱりしていると思われがちですが、とんでもない。

    低レベルなママ友グループみたいで、中身ぐちゃぐちゃでした。笑

    常に誰かが誰かの悪口を言ってる。不平不満ばかりを口にする。人のアラ探しばかりしている。自由な意見はおろか、おかしいものをおかしいと言えない閉鎖的で排他的な雰囲気満載。

    何をするにもどこに行くにも常に一緒が求められる。着るものまでお揃いにしろと言われる。何かにつけて画一された行動を求められる。

    それがチームワークだと信じこんでいるから、行動を共にしないと「協調性ナシ」とのレッテルを勝手に貼られる。クラブ以外の時間に、いつ、誰とどこで練習してるかを把握したがる。

    そんなとき、自分が行きたくても行けないようなレベルの高い場所だと妨害してくる。

    蒼 じゅりあ
    これをおかしいと思う私がおかしいのだろうか?
    ここにいたらストレスを抱えこむだけ!
    窮屈すぎる!
    好きだったはずの競技まで嫌いになる!

    体育会系にありがちな先輩・後輩がある縦社会。

    もちろんどこのクラブにも多少はなにかしら問題はあります。閉鎖的な運動部では珍しいことではありません。

    だとしても、程度によりけりです。

    あまりの大人げなさに呆れ果て、我慢の限界に達し、適当な理由を探して退部しました。

    おかげで今は伸び伸びと競技を楽しんでいます。

    数の暴力とは

    もちろん私に合わなかったというだけで、そこに居心地の良さを感じている人もいます。

    それは、集団でいれば強気になり、無責任でも無秩序でも許されるとかんちがいして「数の暴力」に走る人です。

    数の暴力とは、ある集団が多数派あるいは大人数であるために自集団は正しいと錯覚し、それが原因で小数が握りつぶされたり、誤った判断がまかり通って全体に不利益を発生させてしまうこと、または、その人数の多さを意図的に濫用して力づくで無理を押し通すことである。

    引用元:数の暴力

    世間一般では許されない事がらが、その世界・その集団でなら許されてしまうことに慣れすぎて、自分がなにか特別な力を得た気になった人には楽しいでしょう。

    無能集団ゆえ将来的にそこしか生きる場所がなく、成長も見込めないこともわかってる。これ以上あえて世界を広げようとも思ってない。となればもう、やりたい放題です。

    何をやっても批判されないから異端分子は数の力で捻じ伏せればいい。
    好き放題のことができる。

    そんな居心地の良い世界を手放すわけがありません。

    数の暴力による弊害

    集団だからこそ生まれる無秩序…。それは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」によく似てます。

    個人にかかってくる責任も、集団となれば個々の責任が軽くなったような錯覚を抱き、誰ひとりとして自分の行動や発言に責任を負わなくなる。

    そこに数の暴力が加われば、やがて責任そのものがなかったことに上書きされてしまいます。

    そういう人に媚びて、おこぼれをもらおうとするコバンザメのような人もまた楽しいでしょう。というより楽でしょう。

    誰かに寄りかかってさえいれば、長いものに巻かれて同調さえしていれば、自分の頭で考える必要がないのですから。

    例えば…。自分は嫌いではない、特になんとも思ってない人の悪口を聞いたときでも、仲間はずれにされたくないという理由だけで悪口に同調してしまうのもそれと同じ。

    要はプライドがないのです。

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    こうして考えることを放棄した脳はどんどん退化して、人として持つべき当たり前の良心と世の秩序を忘れていきます。

    ほんとうに恥ずかしいこととは?

    派閥を作り、いつもグループで行動したがる人にとっていちばん怖いのは、「数の暴力」で得た”自分達にとって居心地のいい世界”の秩序が乱されること。自分の座を脅かす新たな勢力が生まれること。

    保守思想の村社会にはよくある考え方です。

    だからなにからなにまで「自分たちと同じでいろ」と圧力をかけて、それに従わない者・はみ出た者・劣等感を刺激する実力のある者を仲間はずれにして優越感を抱き、見下します。

    でもこんな人たちから仲間はずれにされたとしても、けっして恥ずかしいことではありません。

    人として本当に恥ずかしいのは、大人になってまで数の力に頼り、こんなくだらないことをやっている側です。

    どうせつきあうなら人との違いを互いに認め合える、寛容な集団に身を置いた方が絶対に得です。

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