「つい、欲を出しちゃったからいけなかったのよね…」
これは、昨日一緒に食事をしていた時にフッと漏らした友人の言葉。
昨日のメンバーは、私が今、趣味にしているスポーツを始めた頃に知り合った人たちです。
欲はほどほどに
年も同じ。腕前も同じ。そんな条件が重なったことでなんとなく気が合って親しくなり、共にゆる~く、長~く、この趣味を楽しむことを目標にしてきた仲間です。
最初はのんびり楽しくやろうと思っても、やがて上達するにつれ、欲が出てきます。
それまでの練習場所では物足りない…。もっと上手くなりたい。
数年前、そんな思いが一致して、誘い合って本格的なクラブに入りました。
結果的にそれが間違いの元。自分の年齢も考えず、練習をしすぎて足を故障。二人は退部しました。取り残された私も2年後には彼女たちの後を追い、退部する予定でいます。
自分を見失う環境はマイナスだと気づいた
彼女たちが去ったのは、周囲に流されることなく本来の自分に正直でありたいと願ったからだと今ならわかります。本来の希望は「共にゆる~く、なが~く、この趣味を楽しむこと」だったのに、「もっともっと」という欲に駆られ、その無理が足に来て、結果的に本来の希望だった「長〜く楽しむ」ことができなくなったのです。
何かを始めれば「もっともっと」となるのはよくあること。だから欲のコントロールは難しいのです。
夢中になっているときはそれが向上心から来るものだと信じて疑わず、つい無理をしがちです。
自分の生活を二の次にする。意にそぐわなくても周りに合わせてしまう。やりたくないこともやってしまう。そこで生き残ろうと、人の顔色を伺い心にもないおべっかを使う。十分な休養も取らずに次の練習を入れてしまう…。
こうなると趣味の範疇ではありません。途中で何度も「何かが違う」と、自問自答してたそうです。その結果体も心も疲れ果て、長く楽しみたいと思っていたことができなくなってしまう。──余談ですが、これはブログでも同じことが言えます。
無理には必ずツケがくる
やはり、無理はどこかに僻みを生むのです。自分を見失って己の姿を客観的に見ることができず、悪い夢から覚めることもなく、なりふり構わず必死にしがみつこうとしている人たちの姿を、きっと彼女たちは笑って見ていることでしょう。
そこにしがみついている人は彼女たちのことを”挫折した人”と思っているかもしれません。でも私はそうは思いません。今、彼女たちはとても穏やかな表情をしているのに対し、残っている人はピリピリギスギスしているからです。
私もようやく本来の自分に戻れそうです。2年後の今頃は、きっとスッキリしているでしょう。