「究極の自己中」と言われる自己愛強めの人から受けるイメージを、思いつくまま以下に挙げてみました。
- 自分の利益や財産に対する執着心が強い
- 他人を生身の人間とは思わず、自分を輝かせる為の道具に位置付け利用する
- 人づきあいの基本は使えるか使えないかで考える
自己愛強めの自己中を初期のうちに見抜きたい
最初は人当たりがよく、いい人に見せてることが多いので、すぐに仲間にうちとけます。
しかしその間にも損得勘定をしながら周りの観察ばかりして、「こいつ使えそうだな」と狙いを定めた人の懐に入る計算は怠りません。
利用価値の高そうな人には親切を装い、グイグイ近づき群れを作ります。
そうやって後ろ盾を得たと思えば、あとはもうやりたい放題。取り巻きをコントロールしながらあれこれ要求し、さまざまな問題を引き起こしていきます。
やがて異様な人間性が顕になり、取り繕っていた魅力が通用しなくなって金メッキがはがれ、冒頭に挙げたようなボロボロの内面が出て、ただの「幼稚なおじさん、おばさん」認定からの、「なんなの、あのひと…」とドン引きされ人から敬遠されるようになっていくわけですが、そこに至るまでにはかなりの時間がかかります。
当然そのかかった時間に比例するかのごとく、被害者も増えます。コミニュティもギスギスして、関係者一同、多大なストレスに晒されます。たったひとりの問題人物のために…。
そんなとき、こう思いませんか?
自己愛強めの究極の自己中を、早期に見抜く方法があったらぜひ知りたい!
賞賛を集めることに躍起になる人は総じて外面がいいので、いい人仮面に隠された本当の裏の顔を初期段階で見抜くには、いくつかのポイントを知っておく必要があります。
距離感ゼロ
浅い付き合いの頃から妙に自信満々。重い身の上話や安物の食べ物、求めてもいないアドバイスの押し付けなど、それらを拒否せず受け入れてくれた人には猛アプローチをして「私たち、お友だち」とばかり、強引に距離を縮めようとします。
その詰め方、近づき方、入り込み方が異常。
たいして親しくないうちから変に馴れ馴れしく、古くからの大親友みたいな接し方をしてくるその様は、まるでしつけのできてない近所の子をうっかり家に上げたら、次は当然のような顔をして自分の家のような感じでズカズカ上がり込む、みたいな感じです。
「帰れ」といっても帰らず、呼んでもいないのに時間も都合もおかまいなしに「来ちゃった」となれば、最初に家に上げたことを後悔するのは言わずもがな。
軒先貸して母屋を取られる前に
実際私の知ってる自己愛女もこれと全く同じです。
ある日誘われてもいない飲み会をどこかから嗅ぎつけて勝手に乗り込んできて、なぜかそこにいたことがあります。
周囲にとっての”なぜか”が本人にとっては”当然のこと”みたいな感じで、遠慮のえの字もなく、居合わせた人はその厚かましい振る舞いを見て呆気に取られつつも、本人は平気な顔して居座るから「帰れ」とも言えずに一緒に飲むしかなくなる、みたいなことがなん度か続きました。
今から思えば「合流さえしてしまえばこっちのもの」と、そこまで含めて計算づくだったのでしょう。そういった強引さ・図々しさが最大の特徴です。
ところが本人は強引な振る舞いとは微塵も感じてない様子で、「仲間である自分がここにいるのは当然」とばかり、「誘われてない事実」は本人の脳内では「なかったこと」に位置付けるだけでなく、次からはあの手この手で場の中心に立とうとしたり、こちらが驚くような図々しい要求をしてきたりします。
そのやり方はまるで、「軒先貸して母屋を取られる」のと全く同じだと感じました。
そんな常識とはかけ離れた距離の詰め方・居座り方・出しゃばり方をするのが彼ら彼女たちの特徴で、初期段階でいち早くそこに気づけば、玄関先で追い払うことも可能です。
いや、玄関先でも対応してはいけない相手かもしれません。執着心が半端ないので、隙あらば母屋を狙おうとする人ですから。まるで犬のマーキングみたいなものですよね。
以上の理由から、最初にしつこくグイグイくる人は要注意です。
強引に距離を縮めようとする理由
それにしてもなぜ強引かつ早急に、人との距離感を無視してズカズカ入り込んでくるのでしょう。その理由を考えてみました。
対等な人間関係を築けない
自分に有益な人間であればとりあえずペコペコとはするけれど、それ以外なら人を常に自分の下に置いて手下として利用したいという人に、本物の友だちができるかと言えば答えはNoです。きっと心を許せる友だちなんて、誰一人としていないはずです。
だから友だちと呼べる人(相互理解や共感ベースで成り立つ関係性)を求めているのかといえばそうではありません。すぐに仲良くはしたがるけど、本当に求めているのは有利な立場と自分を賞賛し、大事にしてくれる人。
そう、彼らにとっての「友だち」とは、「自分の利益のために利用できる生贄」でしかないのです。
自分だけが優遇されたいブラックホールを抱えた彼ら・彼女たちは、人から一目置かれる立場になるための踏み台必要とするため、踏み台探しに躍起になっているのです。
踏み台だから距離感なんて無視していいし、踏み台だから利用価値がなくなれば「この役立たず!」と罵倒してポイ捨てしたっていいし、踏み台だから意のままに操るのは当然という感じでしょうか。
時間をかければバレることを自覚している
表面的には自信満々に見えるけど、内面は傷つきやすくてもろい一面もあり、実は自信がなくて、ビクビクしているのも彼ら彼女たちの特徴です。
きっとこれまでも、対人関係のトラブルだらけで、最初はよくても時間が経てば、人が自分から離れていく経験をなん度となく繰り返してきたはずです。
誰からも好かれる存在でいたいのに、時間が経てば嫌われる…。
理想の自己と現実の自己とのギャップにいつも苛立っているから時間をかけずに人を取り込みたい、となるわけです。
頭の中は5歳児程度
これまで人格が極端に偏ってる人を何人か見てきましたが、パターンは違えど彼らに共通するのは「子どもの動機と大人の手口」—つまり、年だけとった大きな子どもという印象があります。
5歳くらいの子どもが大人の言葉を真似して、意味は理解してなくてもませたことをやたらしゃべりたがるのと同様、人格に問題がありそうな人は、大人になっても脳内5歳児程度という印象をよく受けます。
- 言葉が薄っぺらく中身がない
- 自分が中心になってないと不機嫌になり、露骨にすねたり嫌味攻撃を始めたりして周囲を困らせる
- 近視眼的で自分を褒め称える言葉を無条件で受け入れる
- 抜け目はないけど頭は良くない
- 言っていることに一貫性がない
- 嘘デタラメを言うことに抵抗がない
このように、中身は「しつけのできてない子ども」だと理解すれば、自分意識が強くて他のことには無責任でいられる理由も、距離感無視して息がつまる関係を求めてくる理由も、少しは見えてくるのではないでしょうか。