嫌がらせ目的で他人の車に傷をつける人って、いったいどんなメンタルの人だろう?
どんな背景があってどんな人生を歩んできたのだろう?
素朴な疑問としてそう感じたので、それを記事にします。きっかけは数日前に流れてきた以下のツイートです。
動画には高級車テスラに傷をつけたと思われる人物がばっちり映しだされていましたが、なんと子や孫たちと過ごすほのぼのとした時間に手慣れた感じで「今、この状況でそれをやらかしちゃう?」みたいな、異様な雰囲気満載。
二つ目は夫婦一緒にやらかしちゃった動画。
前を歩く夫が目配せで「この車をやれ」と指示。それを受けて後ろにいるお婆ちゃんは歩みのペースを少しも崩さずサラッとやってのけた後の、去り際のお婆ちゃんの手元にご注目を。スナップをきかせて石をポイっと投げ捨てる一連の仕草に手慣れた感と対象物への憎しみを感じます。
両者ともこれさえなければ家族や夫婦水いらずで過ごす幸せそうなごくありふれた光景に見えます。でもやってることはとてもじゃないけど自分の人生がうまくいってる人の行為ではありません。
なお以下に書くことは、先の動画に登場した特定の人物がどうのということでなく、一般的な話として他人の車に傷をつける人全般についての考察です。
車に傷をつけられて悔しい思いをしている方へ
なぜ私が先に挙げたツイートに興味を持ったかといえば、私も被害者だからです。
犯人と思われる人物は隣人で、決定的な証拠がないので法的な解決には至っていません。しかし相手はその後もあちこちでトラブルを起こし、社会的には自滅したも同然。
当時は悔しくて悔しくて、どう気持ちを切り替えたらいいものかとずいぶん悩みましたが、今となっては「自分のやったことは、遠い因果として必ず自分に返ってくるものだ」と実感してます。
無抵抗の、もの言えぬ対象物を傷つけて憂さ晴らしをするような卑怯者には、それなりの報いが必ずあります。
これはきれいごとでも迷信でもなんでもなく、卑劣な行為をする人にはそれに見合った人生しか用意されないということです。
なんのメリットもない愚かな行為
車に傷をつける嫌がらせは、加害者にとってなんの得にもならない愚かな行為です。それなりの車に乗ってる人なら保険にもちゃんと入ってるだろうから、保険で直せば元通り。
それに対し、傷をつけた側は違います。それをしたからといって、加害者自身が抱える不満の大元となってる現状は何ひとつ変わりません。だから何度も繰り返すのです。
仮に「高級車に乗る人が気に入らない」という理由があったとしても、自分がその車を買えない事実は変わらないし、「自分の人生がうまくいかなくてムシャクシャした」という理由があったとしても、それをしたからといって自分の人生が好転するわけではありません。
必ずバレるので震えて眠れ
なんのメリットもない行為。ハイリスク・ゼロリターン。せいぜいその場のスリルが味わえる・一瞬だけスカッとする程度のものかもしれませんが、差し引きで考えたら失うものの方が大き過ぎます。
やった側は「バレなきゃいいだろう」と軽く考えているかもしれません。ところがどっこい、そのバレなかった成功体験が仇となり、最後は必ずバレるようになっているのです。
もっとも、そんなかんたんなこともわからない病んだ心の持ち主だから、なにをやってもうまくいかないのでしょうけど。
他人の車に傷をつける理由と人物像
さて本題。どんな人が、どんな理由で他人の車に傷をつけるのでしょう?
他人の車を傷つけているその瞬間、何を考えどんな気持ちでいるのでしょう?
愉快犯・憂さ晴らし
「人の不幸は蜜の味」そのものの人。誰かが困ったり騒ぎがあると喜ぶ神経の持ち主で、放火魔の大半はその手のタイプだと言われてます。
その瞬間だけ「自分には人を不幸にできる特別な力がある」と錯覚できるので、その喜びを得るために、やりやすい状況や対象物に出くわすと反射的に、衝動的に体が動くのだと思います。
本人は万物の王にでもなった気分でいるかもしれませんが、実際にはそんなことでしか自分の存在価値の確認ができない、とても哀れで情けない人物ということです。
被害妄想的な恨みを一方的に抱く人
無差別的・場当たり的な犯行とは違い、特定の誰かに対して執拗に繰り返す場合は、その人物に対する恨みがある可能性が高いです。
しかしいくら恨みがあったとしても、それをしていい理由にはなりませんし、このような変態は被害妄想が異常に強いので、どんな些細なことでも恨みの対象にします。
世間一般で「一方的な思い込みによるもの」と判断されるような内容でも、被害妄想の強い人はまったく違う受け取り方をして病的な執着をするストーカー的な要素がふんだんにあります。
隣人が仲良くしたいと思ってた人が別の人と付き合いだすと、こんな言葉をさかんに口にしてました。——「私は村八分にされている」
村八分の事実などどこにもなく、ただ気が合う同士が自然に集い楽しく付き合っていただけの関係でも、極度に疑り深い彼女はそう解釈しません。
他人の楽しげな交友関係は、自分への当てつけと捉えるし、人が集まっておしゃべりしていれば、自分が悪く言われてると邪推します。
意図的に仲間はずれにするつもりなどサラサラないのに、勝手な思い込みで一方的に恨まれてしまったそのグループの人たちは「心当たりがまったくないのにすごく感じが悪いのよね」と、困り果てていました。
これは車を傷つけた隣人についての記事です。自分勝手な邪推ばかりしてはその考えに凝り固まって周囲を逆恨み。その挙句、全方位に向けて攻撃的な態度をとるその様子から「この人、ちょっとふつうじゃないぞ!」と判断した経緯を綴ったものです。
逆恨みの多くは本人にまったく心当たりがないケースがほとんどです。だからこそある日突然自分の知らないところで誰かの恨みを一方的に買っていたと知れば、そのショックは計り知れません。
私も初めて自分の車に傷をつけられた時、ガリガリと無惨に傷つけられた車は私の身代わりだと感じて震え上がりました。
不気味さを与えたい
当時の私にはそんなことをされる心当たりはまったくありませんでした。引っ越してきたばかりで特に目立つ存在でもなく、誰かとトラブルがあったわけでもないので、ただただ不気味でした。
もちろん相手の狙いはそこにあって「誰がやったのかわからない」不気味さは、言い換えれば「あなたの知らないところであなたは人の恨みを買ってるよ」という意地の悪いメッセージです。
後に相手が異常者(境界性パーソナリティ障害)だとわかって自分の中ではスッと腑に落ちましたが、そこに至るまでの時間は、とても辛く苦しいものでした。
幼児性が抜けない人
隣人もそうですが、もう少し広い範囲で言えば、身勝手な理屈を捏ねて迷惑行為を繰り返す人全般の共通項は、年齢の割に幼稚だということ。
心理的な発達障害か、極端に狭い世界で生きてきた、ただの世間知らずか?
幼稚な人はやることは大胆だけど、稚拙で短絡的。これを端的に言えば、子どもの動機と大人の手口。—そんな印象を受けます。
子どものいたずらと一緒で、親に隠れて悪さをするスリルを味わいたい。そこに快楽を覚えるみたいな、そんな理由もあるでしょう。
こういった理由であるなら、大人として「キツーいお仕置きが待ってるよ」というオーラを全開にして、なにをされるかわからない恐怖感を相手に与えるのも一つの手。
防犯カメラやドライブレコーダーの設置は当然ですが、証拠を掴んだら大人社会のルールに則り、ぐうの音も出ないほどきっちりと処罰しましょう。
極度の人間不信・人との信頼を築けない人
先の動画のなにが異常かといえば、犯人にとっていちばんバレたくないはずの家族と一緒の時間でも、衝動を抑えられずにそれをやってしまうこと。
これを見た時隣人と同じだと感じました。これから長く住む地で隣の家に入り込み犯行に及ぶその瞬間、「もしバレたら大変なことになる」と、ほんのチラッとでも考えなかったのでしょうか?
その考えが及ばなかったということは、家族に対して愛情がない証。家族でさえそうであるなら他人との信頼関係など作れるわけはありません。これまで数多くの対人トラブルを起こしてきたのもそのせいです。
「自分以外は全て敵!」——これが隣人の思考回路です。
抑えられない攻撃性は、極度の人間不信から生まれるもの。全てにおいて「人への憎しみが原動力になってる人」という印象を受けます。
もっと突き詰めて考えたら、本当は自分自身がいちばん嫌いなのかもしれません。傷つけているのは他人の車だけど、実は自分を傷つけているも同然の行為ですから。
最後に
さてタイトルの「他人の車に傷をつける人ってどんな人?」の答えを最後に。
ただのあたおか。ズレてるどころか狂ってる人。近くにいるだけで迷惑な存在の人。頼むから消えてくれ。以上です。