男になくて女にあるもの。それはふだん仲良くしている人の悪口を平然と言い放つ神経です。これは、男にはまずありません。男はストレートだから嫌になったらハイそれまでと距離を取ります。
しかし女は表面で「お友達」を演じつつ、その裏で悪口を平然と言ってのけてます。こんな光景をイヤと言うほど見てきました。
悪口を言うのにお友達?
悪口を言うくらいその人のことが不快なら、きっぱりと縁を切って離れればいいのに離れようとしない。それが理解できません。
裏表が激しい人は信用できない
私は、人を嫌うことを悪いとは思ってません。
好き嫌いは自由です。嫌いなら悪口の一つくらい言いたくなる気持ちもわかります。一般的には悪口は良くないこととされているけど、その人の自然な感情だったら”時と場合によっては”の限定つきで「アリ」だと思ってます。
もちろん言わずに済むならそれに越したことはありませんが。
でも表面的に「私たち”お友達”よ」と見せかけ、影で”お友達”の悪口を言う裏表の激しい女は理解できないし、信用できません。そういうタイプは影で言うときも、自分からストレートに切り出すのではなく、他者に言わせようと悪口を誘導してくる場合もあります。
そのような場面に遭遇するたび、いつもこう思います。
「孤立してない私」を演出するためのアクセサリー程度?
なぜ友達の悪口を言うのか
しかし「理解できない、信用できない、わからない」ではなんの解決にはなりません。事態は変わらず、モヤモヤも晴れません。そこで理由を考えてみました。
取り残される不安
近い関係だからこそ生まれる対抗意識。
近くで見ていれば、その人にあって自分にはないものに気づくことがたくさんあります。その足りないものが自分のこだわっている部分だと、イヤでもコンプレックスが刺激され、やがて対抗意識が芽生えます。
「あの人みたいに私も努力しよう」となれば良いのですが、問題なのは「あんなの、たいしたことない」と、相手をけなして悪評を振りまく人。
元々持っていた自分のコンプレックスに加え、近い関係だからこそいろんなことが見えてきて、憎しみがより増していきます。
憎しみの正体は、自分とたいして変わらないと思いこんでいた”同類”から取り残される不安と焦り。
そんな不安を感じている卑小な自分を認めたくない。劣っている自分も認めたくない。認めたら惨めだから目をそむけたい。
そんな無視された感情が怒りに変わるのです。この手のタイプは恐ろしいほどプライドが高いです。
この段階ですでに敗北を感じているかもしれません。でもプライドが邪魔して「友達の悪口」という禁じ手で自身の不安を打ち消そうとしているのです。自己肯定感が低い人にありがちな手法です。
このように近い関係もいろいろです。
本当の友達なら良い刺激を受けあい互いに高めあう方向に向かいますが、不純な動機で結びついた関係は、片方が抜きん出ようとすると「足を引っ張って引きずり下ろしてやろう」となるか、頭を抑えようとするか、そのどちらか。
取り残されたら自分が惨めだし、面目が丸つぶれだからです。
自分を認めて!
ではこの時の本心はどこにあるかと言うと、「あんなの、たいしたことない」と、コケにした人を見てほしいのではありません。その人をジャッジできる立場にある「私のほうが上」というアピールです。
そんな方法でしか自分を周囲に認めさせる術を知らない、とても気の毒な人と哀れみの目で見てあげましょう。
友達の悪口を言ってもコンプレックスは満たされない
自分のコンプレックスを、誰かをけなすことでごまかそうとしているだけ。けなしている瞬間だけは、自分が上になったと錯覚できるから。
でもそれは長くは続かず、真のコンプレックスは永遠に満たされません。だから近くにいて相手がそれ以上伸びないように見張っているのです。
要は真の友達ではなく、フレネミー(※友を装う敵のこと)でしかないということです。
自分の友達の悪口を言うほどみっともないことはありません。そんな不毛な行為を繰り返しているうちに「そして誰もいなくなった」となるのがオチです。
やはり自分のコンプレックスを満たしたいなら、他人を利用せず正攻法で臨むしかありませんね。