近年増えていると言われる歪んだ自己愛を持つ人たち。増えているということは、その分被害者も増えているということ。
私も過去、自己愛型の人に悩まされた経験があます。当時は悩みに悩み抜き、日々「どう対応したらいいのだろう?」と、ネットや書籍を調べまくった覚えがあって、大抵はこうあります。
逃げろ!可能な限り距離を取れ!
わかります。きっとそれが多分最善策です。なんたって相手は凡人では到底敵わないブラックホールですから。
でも以下のように逃げるに逃げられない場合だったらどうしたらいいのでしょう。
- 隣人が自己愛の場合
- 職場で毎日顔を合わせるモラハラ上司の場合
- 「人の不幸は蜜の味」そのままの、職場の嫌味なお局様の場合
- 同居する姑の場合
- 友だちのフリをして攻撃してくるフレネミーの場合
諸事情により、物理的に逃げたくてもそうかんたんには逃げられない場合の方が圧倒的に多いはずで、それが被害者の悩みを増大させる原因の一つでもあるのです。
この記事でお伝えするのは、敵対せずに逃げる・離れることを前提とした以下の3点。
- 心理的に距離を取るための下準備
- 戦わずに逃げ切るための具体例
- 自分の心の保ち方
相手と周囲の関係性を観察せよ!
まずは下準備として自己愛の行動パターンをじっくり観察しましょう。ガチ対決するためではなく、あくまでも執着されないようにするための下準備です。
別ルートで安定した人間関係を作る
自己愛は対等な関係を築けず、人との関係を上か下かで考えます。自己愛と聞けば、誰に対しても「オラオラとしたオレ様気質で接する人」を思い浮かべると思いきや、実はそうではありません。損得勘定しか頭にないので、顔を使い分けるのです。
有力者や人脈のある人にはいやらしいほど媚びへつらい、そうでない人には横柄な態度で接します。
有力者でなくても利用価値があると踏めば、その間だけは露骨に横柄な態度をせず、適当に餌をちらつかせて時には恩を着せ、自分の手足となって働くことを平気で要求してきます。
それに逆らえば、容赦なくネチネチ攻撃をしかけていたぶります。
こういった自己愛者の行動パターンから見えてくるのは、虎の威を借りたい彼らの願望です。強力な後ろ盾があれば、虚勢を張っても「いざとなれば援護射撃してもらえる」などと高をくくっているのです。
ところがこうしたキツネは、まずいことがあれば虎から真っ先にシッポ切りに遭うという世の常を知らないのも彼らの特徴です。
それらをじっくり観察した上でまずやるべきことは、虎とキツネのドロドロとした群れとは無関係の、穏やかな羊たちと、つかず離れずの良好で平和な関係を作ることです。輪の外から眺めれば、見える景色も違ってきます。
自己愛が手出しできない人の観察
自己愛タイプの人は自分をよく見せたい願望がとても強いので、誰彼かまわず無差別攻撃をするわけではありません。きっちり相手を選んでます。
ではどんな人が執着されるのでしょうか?
逆に執着されない人は、どんな態度で接しているのでしょうか?
前者を反面教師にして、後者の行動を真似してみてください。
自己愛が手出しできないタイプとは?
どんなタイプの人には近づこうとしないのかといえば以下のタイプ。
- 自分の正体を見破った人
- 冷静沈着、自分の軸をしっかり持っている人
- 迎合しない人
- できること・できないことの線引きがはっきりしている人
臆病な自己愛は、つけ入る隙のない人、よくわからない人、馴れ馴れしくできない人に対しては、積極的に近づこうとしません。攻撃するのは一度「自分のもの」と思った相手が逆らったり自分から離れようとしたときです。
敵対せずにスルーする具体例
自己愛タイプはひとりが苦手で、自分の周りに人を集めようとします。やたら理由をつけては「みんなで集まりたがる」「ともに行動をしたがる」「いっしょに」というのを好みます。
だから人の輪に入りたがるのですが、実はそこが自己愛にとっての「生け贄探しの場」というわけです。
相手の欲しがる言葉を口にしない
自己愛タイプは自分のことをよく知らない人、自分のことを正常だと思っている人間に近づき、急速に距離を縮めて取り込もうとしてきます。初対面の人にでも罠をしかけてきます。
なのでいくら相手がフレンドリーに、気さくな感じで接してきたとしても、絶対に見え透いたお世辞やおだてを口にしないこと・誘導されても褒めないことを心がけましょう。
彼らには社交辞令という概念がないので真に受けて喜ぶだけでなく、「コントロールしやすいちょろい相手」認定をしてきます。見下し要因として執着してくるので、後々厄介なことになるだけです。
また噂、陰口、悪口を好むので、ネタを与えないようにして下さい。あなたが言ったことにされますから。
とにかく相手が欲しがってる言葉は絶対に口にしない・同意しない・反応しない。それを心がけましょう。
また初対面のうちから答えにくい質問をしてくる場合もあるので、相手の人物像がはっきりするまで自己開示は控えましょう。というか、いきなりよく知りもしないうちから立ち入った質問をしてくるような人は、「何か裏がある」くらいの警戒心を持った方がいいです。
誘いはきっぱり断る
自己愛に「優しい人、話をきいてくれる人、誘いやすい人」と思われたら終わりです。優しく接しても感謝されるどころか、見下し要因としてつけ込まれる原因になるだけなので、断る勇気が必要です。
電話番号やメール聞かれても、「ごめんなさい、あまりプライベートでメールをするのは好きではないので」と断ります。
LINEの友だち申請も同様、「LINEはアカウントを持ってるだけで使っていません」と断ります。
食事や飲み会に誘われても「ごめんなさい、予定があって…」と断ります。
仮にメールや電話を教えてしまっても、安易に返信しない方が無難です。
それ以外にも笑顔を向けない、二人きりにならない、極力空気になって無表情で事務的な対応しかしない、軽い気持ちで同意や共感をしない、などを徹底します。
相手の人物像がある程度わかるまでは、「つまらない相手・誘いにくい相手・話しかけにくい相手」と思われることが大事で、間違っても「気に入られよう」なんていうのはもってのほか。相談相手・愚痴聞き相手にだけは、絶対にならないことを心がけましょう。
一方で相手の怒りを買わないこと。怒らせたり刺激を与えたりすると粘着されて厄介です。最低限の礼儀だけは尽くしましょう。
自己愛から自分の心を守るには?
長い目で見れば、自己愛は人生のどこかで必ず破滅します。
これはガン細胞が近くの臓器から潤炎していくのとよく似ていて、離れた臓器を攻撃する頃にはガン細胞もろとも滅びる末期状態にあるのと同様、自己愛もまた、身近にいる人間からうんざりしてどんどん離れていきます。
やがて自分の周りから馴れ馴れしくできる相手がいなくなって手詰まりになった頃、無差別攻撃を繰り返すようなメチャクチャな行動をとるようになります。
こうなればもう、どんなに取り繕っても誰からも相手にしてもらえず、待っているのは自己愛が最も苦手とする孤独です。それに耐えられず引きこもるか、掻き消えるように別の場所に出向いて新たなカモを探すかのどちらかです。
私が過去に遭遇した自己愛もこんな感じでした。
今、自己愛が近くにいて心が折れそうになっていたとしても、自己愛の末路は惨めなものだということを、先に知っておくことはとてもだいじです。
今だけを見るのではなく、もっとはるか遠い未来に目を向けて、自分らしいペースで生活することだけを心がければ、物事は収まるところにストンと収まるものだと、これは今だからこそ思えることです。
不幸にも交友関係の中でひとたびでも関わってしまったら、場合によっては腐った部分だけを切り離しても完全ではありません。自己愛の近くにいる取り巻きまで切り捨てるくらいの覚悟を持たないと太刀打ちできません。
逃げられないならこちらから切り捨ててやる。
どうせ切り捨てたところで相手はガンだから、むしろスッキリする。
そのくらいの開き直りが必要です。
仏心は無用。人との関わりは無理矢理することではないし、それを回避することによってトラブルが避けらることは多いです。
嵐は必ず勢力をなくして過ぎ去っていくから大丈夫です。余計なことをあれこれ考えず、嵐に巻き込まれないことだけを考えましょう。