競馬で儲けたら誰に奢るか問題についての見解

    競馬で儲けたら誰に奢るか問題についての見解
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    競馬で儲けたら競馬をやらない人も含めた周囲の人たちにドーンと奢る人もいれば、奢るなら競馬仲間や家族だけにするという人もいます。一方、やたら人に奢るとツキが離れるから自分は絶対に奢らないという人もいます。

    絶対的な決まりはないし正解もないので好きにすればいいのですが、個人的には競馬で儲けて家族以外の誰かに奢りたいと思うなら、競馬仲間だけに限定するのが無難だと思った出来事がありました。

    Contents

    競馬で儲けた時に奢る理由

    競馬で儲けるとみんなにご馳走してくれる気のいい友人がいます。彼が奢る理由は

    • みんなに還元すれば次も当たると信じてる
    • 悪銭身につかず。あぶく銭は使ってしまった方がいいと思ってる

    表向きとしてこのように言ってますが、「難しい馬券を的中させた俺、すげーだろ」「気前よくパーッと奢る俺、すげーだろ」という自慢の気持ちも少しはあると思ってます。

    競馬を否定する人は奢られても感謝しない

    お誘いを受けた人たちは、最初のうちこそ「ラッキー」と大喜びで奢ってもらってました。

    しかし何度か続くとありがたみは薄れていくようで、しばらく祝勝会がないと「次、早くデカいの当てろよ」と平気で催促したり、自分が主催者でもないのに「◯◯君の奢りだからおいでよ」と、誘われてもいない人を勝手に誘ってみたり、”競馬で大金を手にすることの大変さを知らない人”ならではのありえない言動が増えてきました。

    彼らにとって競馬で儲けた金は「どうせラクして稼いだ金なんだろ?」程度の位置付けで、常日頃ギャンブルを否定的に見てるからこそ奢ってもらった恩などあっという間に忘れるのです。

    自分ではリスクを一切背負わずに、いいとこ取りしようと擦り寄ってくるような人には一線引いた方がいいと考え、「いくらあぶく銭とはいえ、お金はお金。誰彼かまわず奢るのではなく、競馬仲間に限定したら?」と提案。

    その結果競馬好き5人のグループが誕生しました。私もそのうちの一人です。

    参加者を競馬仲間だけにすれば一方的にはならないし、難しい馬券を的中させたウンチクを好き放題語れます。

    競馬仲間とのルール

    それからしばらくして、競馬仲間5人でWIN5を始めました。私たちのルールは

    • 5つあるレースをそれぞれが1レースだけを予想する
    • 買い目は広げず毎週1点(100円)を買う
    • 見事的中したら5人で山分けする

    ところが5レース全ての1着馬を的中させるのは難易度が高く、しかも1点買いで的中させようとしているわけですから、2年近くやっててもまったく当たりません。でもそんなのは百も承知。「いつかはデカいのが当たるだろう」程度のノリで気長にやってます。

    WIN5以外にも定期的に祝勝会をやったり、競馬場に出かけて勝ったの負けたのと楽しくやってるわけですが、そこにもルールがあります。

    5人のうちの誰かが10万以上儲けたら5人で祝勝会を開く。ただし全額を負担してもらうのではなく、食事代は各自が出し、お酒代のみを奢ってもらう。

    競馬場に行ったときは、最終レースのみ一人1,000円ずつ出し合って、その日に勝ってる人が予想をする。もし当たったら配当は5等分、もしくは帰りの祝勝会費用にする、というのが私たちのルールです。

    食事代を出す理由

    なぜ祝勝会で全額奢ってもらわないのか。ーーそれは競馬仲間とのいい関係を長く続けていくためです。

    私はそう大きく賭けないし、下手の横好きなだけで競馬にはそう詳しくないため、みんなのように何万もの配当を得ることは無理。奢ってもらうことはあってもみんなに奢ることはできないだろうと思い、「一方的に奢ってもらってばかりでは悪いので、せめて食事代は出させて」というところからこのルールになったのです。

    思わぬところからクレーム

    ある日5人のうちの一人と談笑していたところ、競馬をやらない他の人が横からこう口を挟んできました。

    「いつも都内でタダ飯食わしてもらってるクセに……」

    コトの発端は祝勝会の食事内容について私が口にした「次はもう少し軽いものが食べたい」という発言に反応してのうざ絡み。

    「奢ってもらう立場なのに偉そうに文句言うな」とでも思ったのでしょう。

    アンタの説教いらねーし。

    そこで私は「タダ飯ではない。食事代は自分で払ってる」と言うと、そこで初めて自分の発言が見当外れだと気づいたようです。そこで謝ればいいのにそれをせず、引っ込みがつかないとばかり必死になって形勢立て直しに走ります。

    「儲けてるなら奢るのが当然だ。全額奢らないなんてケチだ。奢らないなら当たったことを自慢するな」と、その場にいない祝勝会の主役にまでケチをつけ始めます。どこまでも「競馬で金得た金は汚い金」「競馬で儲けるのは悪いこと」みたいな言い方です。

    さらには「5人でばかり楽しんでないで、競馬で勝った金を少し残しておいて、たまにはオレたちにも奢れよ」とまで言い出す始末。

    これを言ってきたのはかつて奢ってもらっていた中の一人です。自分たちにお誘いがないことを不満に思ってたのでしょう。上から目線で偉そうに説教するけど、実に子どもっぽい。

    いくら酔ったはずみとはいえ、こちらとしてはかなりモヤっとしたので正論をぶつけました。

    「人を当てにばかりしないで、自分でも馬券を買って儲けることを考えれば?」

    競馬の魅力もわからないどころか「競馬なんて」とふだんは否定的に見てる人の言う”奢るのが当然”という考え方には正直イラっときますが、いくらそれを言ったところで相手には伝わらないでしょう。

    そもそも、アンタに何か関係あるの?

    無関係な人間からああしろこうしろと言われるのは気分が悪いので「私たちの決めたルールに対して部外者の口出しは不要です」とだけ伝え、強引に話を終わらせました。

    趣味とお金に対する姿勢で人となりがわかる

    こんなやり取りがあったおかげで数日イライラしてたわけですが、「つまんねー奴」認定すればよろしいと、やっと自分なりの結論が出ました。

    競馬で儲かるようになるのは至難の業です。ラクしてお金は稼げません。今儲かってるように見える人だって、過去には何倍もの授業料を支払いながら目に見えない山のような苦労をしてるはず。だから当たった喜びを、つい人に伝えたくなるわけです。

    そこを汲み取ろうともせず、「当たったアピールウザい」と言いながら「奢れ」と言う。ハナからギャンブルを否定し、あぶく銭だと軽く見て、人の好意に感謝の念を示さず、ただの一度もリスクを払うことなく安全圏に身を置いたままリスクを背負った人に難癖をつける。「ギャンブルをやる奴なんて」と差別意識を持つ。「奢るのが当然で奢らないヤツはケチ」と言い放つ。

    ーーこのパターンは、老害そのものじゃないですか。趣味に対する考え方やお金と向き合う姿勢が、このときの会話に全て表れています。「奢れ」とタカってくるコジキより「奢らない奴はケチ」と言う人の方が、はるかに罪深いですよ。

    「どうしても分かり合えない人は一定数いる。それは仕方がないので、娯楽に関しては価値観の合う人と共有するのがベストだ」と思った次第です。やはり同じ趣味を持つもの同士で喜びを分かち合った方が楽しいですしね。

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