Essay

「ONEれいほく」のセクハラ問題に思うこと

「ONEれいほく」のセクハラ問題に思うこと

こんにちは。蒼じゅりあです。大変な騒ぎになりましたね。

さとうひよりさんの告発を皮切りに、とうとうニュースサイトにまで取り上げられてしまいました。

NPO法人「ONEれいほく」の、今後の存続は難しいでしょう。

騒動の流れについては以下のサイトがわかりやすくまとめていますので、そちらをお読みください。

これ以降、この騒動を通して感じたことを書いていきます。

起こるべくして起きたこと


この手の問題は、地方だから、都会だからというのではなく、この世に男と女がいる限り、どの地域でも起こりうることです。

また一部では、さとうひよりさん及びそのお友達に対する批判もあるようです。

無防備だとか、危機意識に欠けるとか…。でもそれは後出しで、いじめられたらいじめられる側にも非があると言ってるようなものです。

私たちがその手の被害に遭わなかったとするならそれは、自分が賢いからではありません。たまたまラッキーだっただけです。

彼女が”おじいちゃん”と慕った男性は75歳とのことですよね。25歳くらいの若い女性の感覚として、まさかそんな年寄りにスケベ心が残ってるだなんて、想像もつかないでしょう。

これは70代の知人女性から聞いた話です。その方は訪問介護の仕事をしています。ある日仕事で向かった先は、一人暮らしの70代男性の家。そこでセクハラ行為を受けたそうです。

「気持ち悪くて背筋がゾッとしたわよ」

70代の女性がこれほどショックを受けるわけだから、25歳くらいなら心に受けた傷は計り知れないと思います。

男も灰になるまで男

無駄に元気すぎる高齢者が増えたことで、介護の現場ではその手の被害はいくつもあるそうです。「女は灰になるまで女」という言葉もあるように、「男も灰になるまで男」なんですね。

その話を聞いて、「まさかそんな年寄りが?」と、正直驚きました。私でさえそうなんだから、若い女性ならなおさらです。色んな意味でショックだったことでしょう。心が痛みます。

世代による常識の違い

加害者とされる75歳の男性が過ごした時代背景も考えました。戦後の教育を受けたとしても、まだまだ男尊女卑の意識が色濃く残る時代の感覚を捨てきれない世代。

世代間の常識が違うだけでなく、年齢的にも前頭葉や海馬が萎縮してくるわけですから、時代の変化に対応できないのはもちろん、色ボケはますます加速していきます。

早い話が地域活性どころか、性欲を活性しただけです。

──まぁ彼にとっては、飛んで火に入る夏の虫といったところでしょう。75歳まで生きてきてこれだから、この色ボケ爺さんは、絶対に変えられません。被害に遭われたことは、ただただ不運だったとしか言いようがありません。

その後の対応がずさんだった

が、いちばんの問題は、その後の対応です。

向こうは、自分の立場が悪くなることを恐れて、先に周りを固める手に出てしまったのだった。
「片付けないで帰ったのは非常識だったと思う」
「酔っぱらってふざけてやったことでしょ」
「セクハラなんてこっちじゃよくあることだよ」
いくら事情を話しても、そんな風にしか取り合ってもらえなかった。

ひよりさんは「向こう」と書いているけど、被害者に向けてこの言葉を吐いたのは、同世代の人かしら?

それとも地元の人?

どちらにせよ想像力のかけらもないですね。「もしも自分の身に起こったことなら」「もしも自分の恋人や家族が被害に遭ったら」と、ほんの少しでもいいからそう考えられなかったのかしら?

75歳の色ボケ爺さんには理解できなくても、同じ世代ならどこからがセクハラで、セクハラとは何か、くらいは今の常識として理解しているはず。にもかかわらず、被害者の落ち度を指摘し、色ボケ爺さんの肩を持つような発言するというこの冷酷さ。「同じ目に遭ってみやがれ」と言いたいです。

今後の活動はどうなる?

「ONEれいほく」自体がもともと何をしたい団体なのかはよくわからなかったけど、今回の件でよーくわかったのは、自分たちがやばくなれば、平気で仲間を切り捨てる冷酷な団体であるということ。それだけはハッキリしました。

この際ですから、「ONEれいほく」ではなく「ONEれいこく」に改名したらいかがでしょう。

事なかれ主義(臭いものに蓋とも言う)は、ハラスメントの温床だ。おかしいことをおかしいと言う方が悪いことにされてしまう。こんな歪んだ感性で、どんな新しい挑戦ができるというのでしょう。

新しいこともいいけど、まずその前に、未熟な人間性をどうにかするところから始めてみてはいかがでしょうか。そうでないと高知県のイメージがどんどん悪くなってしまいますよ。

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蒼 じゅりあ
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サイト名の「Un Jour」とは、フランス語で「ある一日」という意味です。日々の記録・エッセイをまったりと綴っていきます。