サッカー部コーチによる暴行シーンがネットに流れたことに端を発した秀岳館高校の問題。

5月5日に形ばかりの記者会見をやっと行いました。まだ隠し事や嘘はたくさんあるはずですが、記者会見さえやれば、対外的には一区切りがつきます。少しでも早く幕引きしたい学校側はこれにて一件落着。落着しなければトカゲの尻尾切り程度でお茶を濁し、あとは時が過ぎ去るのをじっと待ってる状態だと思われます。
メディアにとって根本的な問題の解決など二の次で話題性がなによりもたいじ。一時期だけワッと騒いで大きく取り上げても、日を追うごとにメディアも話題にする機会は徐々に減っていき、それに伴い人々の関心も薄れていきます。それが今までの常でした。
だから忘れた頃に似たような問題がまた発覚するのです。日大反則タックル問題で当時あれだけ騒がれ問題提起されたのに、またこのような異常な事件が実際に起きてるわけですから、この学校だけを叩いたところでなにも変わりません。いずれまた時と場所を変えて再現されるでしょう。
秀岳館の問題は氷山の一角
秀岳館高校に関するニュースを読んでいると「氷山の一角」「体育会系の負の連鎖」「部活の闇」という文言が目立ちました。
しかしこれは、学校や部活に限ったことではありません。今回のように警察が動くほどの事件まで行かなくても、大なり小なり現代社会の常識とかけ離れた問題があらゆる組織、あらゆる団体に顕在化していて、組織が組織として機能してない秀岳館は日本の縮図——そう感じました。
そのためコーチがどうの、監督がどうのという個別のバッシングだけで終わらせず、この学校のような卑劣な考えがまかり通る空間がなぜ生まれたのか、そのメカニズムを解明し、同様の状況になっている組織や人間関係にも光をあてる必要があります。学校や部活、社会などからパワハラがなくならないのはなぜでしょう。
暴力性は権力の中に宿る
どこの世界にもいますが、閉鎖的な環境で立場を与えると偉ぶる人は必ずいます。権力さえあれば、人権無視の態度・行動・言葉遣いはあたりまえと考える人です。
特に運動部は上下関係が厳しく、指導者が絶対的な存在として君臨するケースが大半です。チーム内のライバルも多いため、試合に出場するには指導者に嫌われることはしたくありません。そのため大きな権限を持つ指導者から暴力があったとしても、声をあげにくいのです。性暴力なども同じです。
まして強豪校であればあるほど、暴力を受けても、チーム内でのポジションを守るために我慢するしかなく、従順に従うことが処世術になってしまいます。
仮にそれをおかしいと思って訴えても、すっかり洗脳された友達や先輩などから「我慢しろ」などと言われます。全体主義が強い運動部。同調圧力から異を唱えることも出来ず、たまに異議を唱えることで変わることもありますが、大体は「こういうものだから」と吞みこんでしまいがちです。
そんなことが続くと、権力を持つ自分の立場を楽しむようになります。「問題児を長いコト甘やかした結果がプーチンの出来上がり」というわけです。
学校や部活のみならず、こういったことは日本の縮図ではないでしょうか。
暴力・パワハラが連鎖する理由
上下関係が厳しい縦社会。閉鎖的な環境では特に、先代がやってきたことは「自分はこうやって育った」と、次の世代に受け継がれるのは自然な流れです。
ただ問題なのは、理不尽な暴力やパワハラが、さらに弱いものへと向けられていく負のループです。
指導者に暴力をされた学生は「弱い立場」だから暴力を受け、「指導」という建前で正当化されます。この成功体験が「弱い立場の人に暴力をしても正当化できる」という既成事実を作ります。
やがて上下関係が自分を守る「盾」になると学んだ部員が上級生になると、今度は「今までやられてたから次は自分の番!」とばかり、自分がやられた事を当たり前と勘違いして暴行・いじめ・パワハラを繰り返します。厳しい指導こそが正義であり、口汚く罵ってでも「指導のため」という名目で正当化されます。
その「自分も過去にやられたからやってもいい」という思考は、一般社会のパワハラにも繋がっていて、実際何かの目標を達成するために、暴力や威圧で思い通りにさせようとする考え方は、日本中いたるところにはびこっています。
しかし、力で抑えつけなければ指導できないのは、己が無能な証拠です。
泣き寝入りする時代を終わりにしたい
秀岳館に限らず、最近やたらと軍隊式の指導法を好む古臭い指導者が、次々と事件を起こしてます。
いずれも自分のいる環境こそが世間のスタンダードと勘違い。変化できない、変化を恐れてる、変化を好まない、学校とスポーツの世界しか知らない傲慢な人たちばかりが問題を起こしているように感じます。
一連の報道から判断すると、要は部活だけが悪いのではなく、学校そのものが閉塞してることが現代社会にはそぐわないと感じます。
ただ、かつては泣き寝入りするしかなかったかもしれませんが、秀岳館のケースは、そんな前時代の終わりを期待させるものに感じられました。
これからの時代は、ネットにあげられた情報は次々と検証され、言い逃れできない証拠として残ります。
まず、理不尽な行為に対しては証拠を残すこと。その大切さを秀岳館の問題から学びました。
この度重なる不祥事を同じ立場の人が、「バレなきゃいい。大丈夫、今までどおり力で押さえつけられる」と判断するか、「時代は変わった。身を引き締めよう」となるのか。今後を注目したいところです。
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