私は、一人でいる時間がとても好き。そのため最近は、趣味のサークルで親しくしていた人たちとは少し距離を置いてます。
理由?
時間の無駄だからです。彼女たちがいかにも「女子中学生の集まり」的なグループに感じられて……
そんな人たちと何時間もファミレスでお茶するくらいなら、家でブログでも書いていたほうが、はるかに有意義だからです。
大人になってまでつるむ女はみっともない
でも、どこかのグループに属したい女性って多いですよね。
クラス替えして周りが知らない友だちばかりだと不安だから、とりあえずどこかのグループに入っておきたい、入るならできるだけ大きなグループがいい、みたいな人。そうしておかないと「友だちいない認定」されそうで怖い、ハブかれそうで怖い、みたいな感覚の人。
それがまだ中学生くらいなら理解はできます。でもいい大人がそれをやってるって、どう考えてもみっともない。
おもしろいなと感じるのは、つるんでいても心から信頼しあってないところ。
仲間であっても、そこにいない人の悪口ばかり言い合ってます。いわゆる欠席裁判というものですが、嫌いなら無理して付き合わなければいいのに、なぜか彼女たちはとりあえずグループに属していれば安心という感じです。
そのあたりが理解できません。信頼しあってない人同士でつるんでなにが楽しいのやら。
友だちってなんだろう
心から信頼し合える仲間は、私にもいます。それは学生時代からの友人です。私が友だちと呼べるのは彼らだけ。それ以外は全て「知り合い」という位置づけにしています。
趣味仲間とか、ご近所の仲良しさんとか、職場で親しくしていた人とか、その程度。どんなに親しくしてても、友だちという感覚にはなれません。
でもつるみたがる人って、やたら友だちを強調しません?
ちょっと顔見知り程度の人でも「あの人、私の友だち」とかって平気で言いますよね。そういう人は、「私はどこに行ってもすぐに友だちを作れる」と豪語します。
そういうのを聞くと、ちょっと違和感。
友だちって、そんな簡単なものじゃないだろうと。
長い年月をかけて、気がついたら友だちになってたというのが本来の意味じゃないのかな?
少なくとも、世界中の人が非難しても、自分だけはその人を信じるというのがの本当友だちじゃないのかな?
なのに仲間だ友だちだと言いながら、平気でいない人の悪口を言う。
そういうのを見ていると、つくづく、「この人たちにとっての友だちってなんだろう」と考えてしまいます。同時に、そんなグループには絶対に近寄りたくない、一人でいたほうがずっと気楽だと感じます。