「見損なってた」という言葉。これは、それまで良いイメージを持っていたのに、それが裏切られがっかりした時によく使われる言葉。
でも私、意外とその経験がないんですね。
人を見る目があるとか、裏切られた経験がないとかってことじゃなく、最初から予感めいた”なにか”を相手から感じ取っているのです。
最初の違和感はほぼ当たる
例えばそれまで表面的には「すごくいい人」で通っていた人が、何かの出来事をきっかけにしてボロが出たとして。
そんな時、周囲は口を揃えてこう言います。
「えー?あんな人とは思わなかった。見損なってたわ〜」
でも私は違います。
「ああ、やっぱりね」
そういう部分のみ、勘は鋭いのです。
未知の人と知り合って、少しずつ距離を縮めていく中で少しずつ感じる違和感。──「ん?」「あれ?」といった、上手く言語化できない些細な積み重ねがその正体です。
それでもしばらくはその違和感を打ち消しながら交流するのですが、最終的には悪い勘の方が当ってます。時間の経過と共に、少しずつ金メッキが剥がれるという感じでしょうか。で、それを後でよーく考えると「深入りしてはいけない相手ですよ」という警告なのだと気付きます。
でもこれは、私の場合。分からない人には何をどう言っても分からないみたいです。
「あんたらの目は節穴ですか?」と聞きたくなるくらい、わからないことが私には不思議でなりません。
人の表面しか見ようとしない人もいる
例えば誰にでも愛想よく振るまい、すぐに誰とでも仲良くなれる人がいたとして。でもしばらくすると、ただのお調子者であることがわかるのですが、何年経っても「明るくて元気な人」だと信じて疑わない人もいます。
常日頃、強気の発言ばかりする人がいたとして。パッと見は場のリーダー的存在のように思えます。でもしばらくすると実はただの仕切り屋で、取り巻きを作りたいだけの人であることがわかります。
それがわからない人が、自ら率先して子分に成り下がるのです。まるで教祖と信者の関係みたい。見ているようで、ちゃんと見ていない。
人は色んな部分を持ち合わせているわけだから、「最初から偶像化するような、そんな思い込みはとっとと捨てろ」と言いたくなります。
でもその一方で、「信じる者は救われる」なんて言葉もあるくらいだから、そういう人にとっては虚像でも金メッキでもいいから何かにすがりたいのでしょう。私にはよくわかりませんが。
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