昨日は学生時代の友人たちに会いました。毎年ゴールデンウィークには必ずみんなで集まっていますが、昨日はここ数年でもいちばん参加者が少なくて、たったの4人。でもじっくり話し合うにはちょうど良い人数かも。
本当の友達は一緒にいて心地よい人だとつくづく感じました。いや〜、本当に楽しかったです。
ベタベタしない距離感がたいせつ
「オレたち、長い付き合いだよな」と、友人がポツリと私に言いました。
そう、本当に長いです。いちばん長くて小学校から。それ以外の人たちは高校からの付き合いです。卒業してから就職・結婚・転勤・転居。中には離婚・再婚・再就職など、各自それぞれの人生を歩んできました。
人生の節目節目で生活が変わると、つきあう人たちも変わっていくものです。日々の生活だけで精一杯、現在の人間関係だけに意識が向いて流されていくと、つい過去の人間関係は二の次になってしまったりします。
しかし私たちはそうではありませんでした。各自の環境がどう変わろうと、互いの関係性が変わることはありませんでした。根底にある互いに対する気持ちは学生時代のまま、今では長年共に歩んできた同士のような関係になっています。
なぜこんなに長く付き合ってこれたのかと、ふと考えてみました。
「楽しいことはみんなでやろうぜ」的なノリでバカ言って大笑いするのは毎度のこと。──これは学生時代のノリのまま。
「こんなことを言ったらドン引きされるかしら?」なんて余計な気を使うことなく、その一方で踏み込んではいけない部分もちゃんと心得ている。──これは大人としての配慮。相手に対する思いやり。
誰かが困ったときに手を差し伸べる時と、黙って見守るべき時を心得ている。──これは人としての礼儀。相手に対する敬意。
つまり「友達だから」という理由だけで、ベタベタしないのがよかったのです。各自が大人になり、自立した同士の関係性がうまく出来上がっていたのです。
本物があるから偽物が見えてくる
私自身彼らの存在があったおかげで、その場だけの人間関係にしがみつく必要性を全く感じてきませんでした。
だから人間関係を最適化しなければならないときに、真っ先に切り捨てるのは、上辺だけの、その場限定の人たち。好きでもないのに惰性でつるんでいる人ような人は真っ先に切り捨てました。今の環境で「ぼっち」に見えたとしても、「私には彼らがいる」という精神的な強みがあります。
結果的にそれが今の幸せにつながっているのです。それもこれも、本物の友達とは何かを知ってるからです。
これとは逆に、身の周りの人間関係のトラブルを見ていると、切り捨てるべき人間関係に執着したために関係が悪化しているケースが圧倒的に多いです。楽しくもないお茶会やランチ会、お義理で参加する飲み会など、ひとりになるのが怖いから、本当の友達でもない人と無理に付き合おうとして、自分でストレスを抱え込んでいるのです。
ストレスに感じたら自分から離れればいいだけなのに、それもできずに無駄な時間を費やす人のなんと多いことか。
無理に友達ごっこをするからトラブルになる
人間関係のトラブルもそう。本当の友達なら些細なトラブルがあっても、険悪な関係にまで発展することはありません。しかし元々友達かどうかもよくわからないような人とトラブルになれば、ソク、冷戦状態になるのはあたりまえ。だから最初のうちは本音を隠してつきあいます。
でも無理は続きません。気が緩んだときに、心の奥底にしまいこんだ本音がポロッと出てしまうのです。
それなら最初から友達でもなんでもない人と、無理に友達ごっこなんてしない方がずっといいのですが、それができない人間の愚かさよ。繰り返される人間関係のトラブルを見るにつけ、人間関係を最適化することの大切さを思い知らされます。
無理をしない。無駄をしない。そのための最適化。
やっぱり同じ時間を過ごすなら、本当に大切な人と過ごしたいものですよね。それが幸せで快適な人生の条件です。