Diary

夢中になることと見失うことは違う

夢中になることと見失うことは違う

好きなことを追求して夢中になるのはすばらしいことだけど、それによって自分を見失い、始めた頃のシンプルな気持ちを忘れていく人は多いです。

この私もその一人。夢中になれるものを見つけてそれに打ち込むのが人生の醍醐味だと思っていました。でもそれによって、すごくだいじなものを失ったのかもしれないと、ふと思ったのです。夢中になるあまり、見失っていた自分に気づいたのです。

季節の移ろいすら忘れてた日々


今日、趣味にしているスポーツの練習場に向かう車の中で、ほんの数日前は桜が満開だったのに、いつの間にかこんなにも緑が濃くなっているという季節の移ろいを感じました。

日々暗幕を締め切っている体育館にいる私は、すっかり忘れてたことです。夏の蒸し風呂のような暑さと真冬の凍てつく寒さしか記憶になく晴れも雨も関係ない。そんな毎日を過ごしていたなんて、実にもったいなかったと。

一年でいちばん過ごしやすいこの時期に、それを楽しむこともせずに、そんな時間を惜しんでまで何かに追い立てられるように走り続けてきた私。特にこの数年は、たいせつな友達との時間も削ってきました。家を開けてばかりで愛犬たちに寂しい思いばかりさせていました。そんなことは、今の趣味を始める前にはなかったことです。

何かを獲れば何かを失うのは世の常とはいえ、いったい今まで何をやってきたのだろうと、ふと、そんなことを思ったのです。

見失い、流されていく人は多い

私だけではありません。「長くいるつもりはない。いつ辞めてもいい」と言ってた人が、いつのまにか保身が先立ち、おかしいことをおかしいと言わないどころか、自ら率先して長いものに巻かれて身の安全を計る。長年の友達でも、自分に利がないと踏めば平気で切り捨てる。

誰の悪口も言わない、誰一人として悪く言われないであろう善良な人のあら探しをして、平気でいじめるような人に媚びへつらい、よく知りもしないのに一緒になってその人のことを悪く言う。

そんな人を見ると、知り合った頃はこんなじゃなかったのにと、寂しい気持ちになります。その程度の人だったというだけかもしれないけど、自分を見失い流されるのは恐ろしいことだと、そんな風に感じました。

最後に

私はやっとそれに気づいて本来の姿に戻る決意をしました。でももし気づかぬまま、底意地の悪い人たちの中で洗脳され続けていたら…。

きっと、取り返しがつかない膨大なツケを払うことになってたかも。

夢中になるのはいいことだけど、見失う怖さを趣味やネットの世界で感じてます。

やはり基本は自分の生活。それが疎かになるようなら、どこかでバランスが悪いということです。そんなかんたんなことに、ようやく気づいたのです。これからは程よいバランスを心がけていきます。

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蒼 じゅりあ
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サイト名の「Un Jour」とは、フランス語で「ある一日」という意味です。日々の記録・エッセイをまったりと綴っていきます。