現在2匹の犬を飼っている私が、今いちばん恐れているのは、愛する2匹との別れ。
その後に味わうであろうペットロスを想像してしまう出来事がありました。それは、糸井重里・樋口可南子さんご夫妻の愛犬・ブイヨンの死です。
ひしひしと伝わるペットロスの感情
ほぼ日刊イトイ新聞には必ずブイヨンが登場し、その姿からご夫妻がどれだけ大切にされてきたのかがわかります。
毎日更新される「今日のダーリン」にはこんなことが書かれていました。以下の文章は3月27日「今日のダーリン」より引用したものです。
そうは言っても、まだ1週間も経ってないのだ。ひっくり返ったこころが元に戻るにはまだ早いだろう。
(中略)
あったことを、もとに戻す方法は、もうひとつもない。
どれほど深い悲しみを感じたとしても、ブイヨンにとってなにかの助けになるということはない。それはわかっているという前提で、悲しんだりしている。
最初の日には、「悲しみじゃないよ、さみしさだよ」と、言ってたような覚えもあるけれど、どうやら両方だった。
みんなのように笑うことも話すこともできるけれど、ほんとうの明るさを取りもどすのがむつかしい。
(中略)
世間で、こういうことを「ペットロス」と言ってたのか。
この感覚自体をたのしめるようにしよう。
いましかない感じを、味わえばいいのだと思う。
そう思って、ブイヨンの大好きな代々木公園に行った。公園を犬を連れずにひとりで歩いてみると、ずいぶんと広い公園だったということに気づく。
そしてこれは前日26日のTweet。
ブイヨンがいなくなった悲しさは、「こぐまのケーキ屋さん」の店員さんが、こぐまの店長さんを失ったくらいのものです、と思ってしまった。ゴメンね。
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) March 26, 2018
これ、切ないくらい、よくわかります。たかがペットと思うなかれ。人によっては「自分の親が亡くなったときよりつらい」と言ってる人もいるのです。
きっと今は、押し寄せる深い悲しみとどう向き合っていけばいいのか、模索している状態なのだと思います。
犬の一生は短すぎる
最近は犬も長生きするようになったとはいえ、たった15年やそこらで別れなければならないなんて、最初からわかっていたことでもやっぱりつらい。
だって15年なんて、あっという間です。短すぎます。
人間ならまだ、中学生。親がかり真っ最中です。
慌ただしい仔犬の時期を過ぎて、一通りのしつけができて、意思疎通がスムーズにできるようになって、ようやく飼いやすくなったな、なんて思っていると、いつの間にかシニアと呼ばれる世代。
そこでほんの少しの寂しさを感じるけど、まだ半分あると自分に言い聞かせ……
でもそうこうしているうちに、あっという間に老犬世代に突入。
犬らしい本能が減る分だけ寝ている時間も増えてきて、飲み薬も増えてきて、今の幸せが少しでも長く続くことを願う時間も増えてきて、「もうこれ以上、年を取ってはダメよ」という小言も増えてきて。それ以上のことを極力考えないようにしている時間も増えていく。
だけどやっぱり「あとどれくらい一緒にいられるんだろう」と考える時間が増えていく。それが老犬と暮らす飼い主の切ない思いです。
でも切ないだけでなく、その中には希望もあります。それは終わりがあることを前提での希望。
ずっと一緒にいたい
現在我が家の愛犬は、12歳と9歳。時々、「時間がこのまま止まってくれればいい」なんて、考えてしまいます。今、桜が満開だけど、この桜をあと何回一緒に見られるだろうと、よく考えます。
今からこんな状態だから、いざそうなったら私はどうなってしまうだろう……
糸井さんは「この感覚自体をたのしめるようにしよう。いましかない感じを、味わえばいい」と書いているけど、私はどう向き合っていくのだろう。
今は全く想像もつきません。
あと何年一緒にいられるかわからないけど、これまで以上に愛犬たちとの暮らしを楽しみたい。たくさんたくさん遊びに出かけて、楽しい思い出をひとつでも多く残したい。ずっとは続かないであろう今の幸せな時間を、より濃密なものにしていきたい。それくらいしか思いつきません。
よく「愛するものをなくした悲しみは時間薬で癒やすしかない」なんて言うけど、時間薬の効能を高めるためのコツがあるとしたら、今を大切にするしかないのです。