日大アメフト部の違反タックル。連日大変な騒ぎになってます。一昨日と昨夜、大きな動きがありました。
一昨日の午後は違反行為をした日大の選手が会見を開き、昨夜8時からは違反行為を指示したとされる井上コーチと内田前監督が会見を開きました。
期待を裏切らないお粗末な会見
違反行為をした20才の日大選手が堂々と会見したのに対し、昨夜のコーチと監督の会見は、なんともお粗末な嘘松。隠すものがない人の態度と、隠し事だらけの人の違いは歴然です。
もみ消しに必死、論点のすり替えはもちろん、目は泳ぎまくり、声は裏返ってしどろもどろ、それに輪をかけ司会を務めた日大広報部の米倉久邦氏は、高圧的な態度でブチ切れて報道陣にケンカを売るという最悪の展開。
年を取るとキレやすくなると言われてますが、まさにそれ。
最悪の司会者
「みんな見ているんだ! あなたのせいで日大のブランドが落ちますよ!」に対し「落ちません!」と自信たっぷりに断言したはいいけど、その瞬間から日大ブランドはすでに砂上の楼閣同然。信頼は落ちるところまで落ちました。
「余計なことは聞くな、迷惑だ」と言ったかと思えば、極めつけは「前提もクソも」って…。
だったら何のためにノコノコ出てきたんだと聞きたくなります。記者会見を開いてあげてる意識丸出し。自分が被害者だとでも思っているのかしら?
他人様に怪我をさせた。そのための謝罪会見という意味合いを、この人全く理解してない。許しを請う立場の人がこれだけふんぞり返っている姿を見たとき、「この大学は終わった」と思いました。
前日に行われた選手の会見が立派だっただけに、怒りを通り越してもはや失笑という方も多いのではないですか?
昭和から思考停止している姿が露呈
この件に関しては各方面から様々な意見が出てるので、違反タックル問題については言及しません。
でもただひとつ、印象的だったのは「まるで昭和の体育会系」を引きずった爺さんたちの茶番劇、あれはないわ。
脳みそが昭和のまま、いつまでもアップデートできないでいる人たちに、未来ある選手が潰されてしまう悲劇を目の当たりにすると、「もういい加減、こんな古臭い体質は一掃しませんか?」と、声を大にして言いたくなります。
昭和の常識=現代の非常識
これは日大アメフト部だけの問題ではありません。私もスポーツに関わっているけど、スポ小あたりでも「古いなぁ」と感じることがしばしばです。「昭和の常識=現代の非常識」くらいに認識しておかないと、これからの時代は生き残れませんよ」と言いたくなります。
それにしてもなぜ体育会系は、古臭い考えを捨てきれないのでしょう。
精神論は無能の証
口を開けば「やる気がー、根性がー、努力がー」というけど、どうしたら効率的にそれを引き出すかを理論的に考る努力は怠り、「たるんでる!なっとらん」と、権力を盾に精神的に追い込み、大声で叱責するしかないのが昭和の体育会系。まるで独裁国家の恐怖政治です。
今なら立派なパワハラなのに、当の本人は「お前のためを思って」と、教えているつもりになっているから笑っちゃう。恩着せがましく「お前のため」という言葉を使う人ほど自分のことしか考えてないし、人を力づくで支配するしか能がないのです。
これでは楽しいはずのスポーツを、嫌いになってもしかたないですよね。
昭和の体育会系は、それでやる気をなくせば「アイツはだらしない」の一言で終わり。中学・高校で部活を辞める人が悪く言われるのも、そこに原因があるのです。
歪んだ勝利至上主義
元フットサル日本代表監督のミゲル・ロドリゴ氏は「負けた試合の中にも小さな勝利がたくさんある」と、「奇跡のレッスン」という番組の中で語ってました。
しかし昭和の体育会系はそれを甘やかしと捉え、「結果だけが全て」という考え方をします。だから感情的に他人をジャッジするのです。
確かに結果もだいじだけど、そこに至るまでの過程はもっとだいじ。今回のようなことがあると「何を持って勝利なのか」と考えてしまいます。
「試合に勝っても勝負に負けたら意味はない」と考える私には、到底受け入れられない考え方です。