Essay

揚げ足取りやあら捜しで優越感に浸ろうとする人の心理

揚げ足取りやあら捜しで優越感に浸ろうとする人の心理

誰得にもならない揚げ足取りやあら捜し。

重箱のすみをつつくように、些細なミスや言い間違いを大げさにあげつらう、そんなセコくてイヤミな人がもし身近にいたら?

なぜ人から嫌われるようなことをするの?

「揚げ足取り」の語源は、「技を掛けようとした相手の足を取って倒す」という相撲や柔道の正当な技です。でもここで問題にしている、相手を精神的に貶めたいだけの「揚げ足取り」は、ただの反則行為です。

揚げ足取りやあら捜しは「私は正攻法では戦う能力がない、卑怯な人間です」と言ってるようなもの。

私の近くにも揚げ足ばかりとる人がいます。うざいだけなので絶対に近寄りたくないと思い、極力接触を避けるようにしてます。私に限らず、これがごく一般の、当たり前の感覚だと思ってます。誰だって底意地の悪い人とは絶対に関わりたくないはずですから。

だからよけい不思議に感じるのです。

もし自分なら?と考えれば、自分の醜い部分こそ必死に隠しますよね?

でも隠そうとしない。それどころか嬉々として揚げ足取りに精を出す。

そのエネルギーを、ほんの少しでも自分を高めることに使えば?と思うのです。

他人の欠点ばかりに心で舌打ちして、眉間にシワ寄せてる自分の姿がどんなに卑小で醜いか気づけよ、とも思うのです。

そんなことばかりしていれば、やがて自分の醜い性格が顕になり、人からの信頼を失います。それは火を見るより明らかです。

結果自分が損をすることになるのに、なんでわざわざそんなことをするのでしょう。その神経が私には理解できないのです。

そこで揚げ足取りをする人の心理について、自分なりに考えてみました。

揚げ足取りをするメカニズム

揚げ足取りもあら捜しも、相手の足を引っ張って引きずり下ろしてやろう、という心理からくるもの。

たとえば自分と同じか、自分の方が上だと思っていたのに、いつのまにか相手の方が実力をつけてしまった場合。

正攻法で戦える人はそれを「良い刺激」と捉え、自分もがんばろうと、その相手を目標にします。良きライバルですね。

根底には怒りがある

しかし対抗意識だけは強いけど、「反則行為」でしか戦えない人は、自分がその場に取り残されたような焦り、不安、寂しさ、嫉妬に苛まれるようになります。ライバルが有能な人材になるのが怖いのです。

けれどプライドだけは無駄に高いので、自分がマイナスの感情を抱いていることや、実力不足であることを意地でも認めたくない、相手がすでに上であることも認めたくない。いくら見栄を張って、「私が上だ」とアピールしても、現実は変わらず…。ライバルがしっかりと成果を出せばイライラを感じて、さらなる強い感情が生まれます。

それは、怒り。

「アイツのせいで自分が惨めな思いをしてるんだ!」

自分がまわりに悩まされて辛い思いをしているのだと、原因は外にあると思い込もうとするのです。


結果、相手を蹴落とすためになりふり構わず、汚い手を使うようになるのです。そうでもしてないと自分のアイデンティティを保てないのでしょう。ストレスのはけ口を探しているのです。だからしつこいですよ。いつまでもネチネチとからんできます。

仮に自分の思惑通りにライバルが失敗でもすれば、待ってましたとばかりに嬉々として「お前は無能だ」と、劣等感を植え付けようとします。

このような邪悪な人間への効果的な対処法は、以下の記事に記載しているので併せてお読みください。

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最後に

以上が揚げ足取りやあら捜しをしては、優越感に浸ろうとする人の心理です。

そのような行為に走るメカニズムを紐解いていくと、心に深い大きな穴が開いていることに気づきます。そのポッカリ開いた深い穴に、他人を陥れようとしているのです。

しかしそんなことばかりしていれば、いつかは自分自身がその大きな穴に呑み込まれていくはずです。本人は気づいていませんが。

もし身近にそんな人がいたら「かわいそうな人だ」と、哀れみの言葉のひとつもかけてやってください。アーメン。

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蒼 じゅりあ
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サイト名の「Un Jour」とは、フランス語で「ある一日」という意味です。日々の記録・エッセイをまったりと綴っていきます。