「不逆流生(ふぎゃくりゅうせい)」とは歌舞伎役者・片岡仁左衛門さんの座右の銘。「流れを活かし、流れに逆らわずに生きる」という意味です。
初めてこの言葉を聞いたとき、これこそが快適に生きる究極のコツだと思いました。この記事では「不逆流生」の意味と、なぜそれが快適に生きていくコツかについてをお伝えします。
流れに逆らうのは虚しい
永遠に続くことは、なにひとつありません。どんなに順風満帆でも、昇りつめたら下るときはきます。追い風もあれば逆風もあります。日々刻々と、状態は変化していきます。同じであるものはなく「流れ」ている限り、形は変わります。そうやって自分を取り巻く世界は少しずつ変化していくのです。
ひとつの例として「老い」を挙げます。
人は日々老いていきます。今までできたこと・できると思っていたことがだんだんできなくなります。ずっとしがみついていた世界、そこにはもう自分の居場所がなく、どうしたってその手を離す日が訪れます。
しかし意地でもそれを認めず、「若い者には負けてはいられない」と、対抗意識をむき出しにする人がいます。
若くありたい気持ちはわかります。輝いていたかつての自分が忘れらず、己のポジションをひたすら守りたい気持ちもわかります。
でも流れに逆らうのは虚しいこと。太陽を西から上らせるのと同様、けっして時は、元には戻らないのです。
適材適所という言葉があるように、年齢を重ねるごとに自分に合ったステージが待っています。そのためには今の自分を客観的に把握することがたいせつなのです。
未練たらしくいつまでもできなくなったことに固執してもがくばかりでは、ありのままの自分を把握できません。その結果、次のステージに進むチャンスも逃してしまうのです。
これは主役の座にこだわるあまり、「人生」という名の大きなストーリーをぶち壊すのと同じ理屈です。長い人生には主役の時期もあるけれど、脇役に回らないといけない時期もあるのです。
流れを活かすとは
でもこれが、その状態を冷静に受け入れて生きていくとしたらどうでしょう?
できなくなることはあるかもしれません。あきらめなければいけないこともあるでしょう。
しかしそれを受け入れ、折り合いをつけた先には、新たな道が開いていきます。積み重ねてきた経験を、別のことで活かすことならできるはずです。経験に裏打ちされたものは自分の血肉になっているのですから、思わぬタイミングでそれが活きる場合もあるのです。
野球選手が現役を引退して、コーチや監督になるのは、その最たる例ではないですか。適材適所は定期的に変わるのです。
このように現実に抗うことも呑み込まれることもなく、流れを活かしながら生きていく。これが「不逆流生」の意味です。
使うべき場所で力を使う
昔学校で作用と反作用を習いましたよね。何かに力を加えれば、必ず同じ分だけその反動がくるというのがその意味ですが、もしこれが、流れに逆らった状態で力を加えたとしたらどうでしょう。いくら力を加えても全く歯が立たず。それどころか自分が疲れて流れの渦に呑み込まれてしまうのがオチ。
でも流れに乗った状態で力を加えたらどうでしょう。流れの勢いが味方して効率よく自分を守ってくれるし、反作用を封じ込めることだって可能です。
どんな時も無鉄砲に全力疾走すればいいというわけではありません。流されるのではなく、自らの意思でこのタイミングでこの流れに乗る見極めを上手にできるかどうかが快適に生きていくコツでなのです。