Essay

川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」論争に思うこと

川崎で起きた事件について思うところを書いていきます。まず被害にあわれた方々と、ご遺族の方々に心から哀悼の意を表します。 

報道その他で事件の詳細が明らかになるにつれ、被害にあわれた方々が、どれほどの恐怖と痛みを味わったのか。そして大切な宝を突然奪われてしまったご遺族の方たちの深い悲しみを思うと胸が痛むばかりです。

テロとも言えるこの身勝手極まりないふるまいに、理不尽さに、日本中が怒り、日本中が悲しんでいます。

「死にたいなら一人で死ぬべき」はやり場のない怒り

そんな中、「死にたいなら一人で死ぬべき」という意見を数多く見聞きします。その一方で「そういった強い言葉をネットで拡散するのは、似たような状況にある人を追い詰め、刺激する恐れがあるから控えるべき」という意見も出てきて、大きな物議をかもしています。

自死は一人だけの問題ではない

私が初めてこういった言葉を聞いたのは中学生のとき、母の口からでした。

ふだんはあまり感情を表に出さない母でしたが、近所に住む娘さんが飛び降り自殺の巻き添えで命を落としたとき、ひどく怒った顔をして、この強い言葉を口にしました。

結婚が決まり、新生活の準備のために駅前のデパートに向かう途中の事故。婚約者の眼の前で命を落としたのです。

「あんな人通りが多い場所で飛び降りたら、他人を巻き込むに決まってる。死にたいなら誰もいない山奥でやればいい」と口にした母に対し、その場に居合わせた警察官がこんなことを言いました。

「いや〜、みんなよくそう言うけど、山奥だって迷惑だよ。オレなんて腰を悪くしたのもそれが原因だもの」

なんでも山の変死はその多くが自死で、遺体処理は言葉にできないほど大変だそうです。腐乱してウジが湧いてるような遺体を、山から担いで降りてくる、という仕事を何度も繰り返しているうちに、すっかり腰を痛めてしまったそうです。

そんなやり取りを聞いて子供ながらに「自分ひとりだけで死んでも、必ず誰かに迷惑をかけてしまう行為=自死はよくないこと」という認識が私の中で出来上がりました。

だからこそこの事件の第一報を聞いたとき、「他人を巻き込むな」と思ったのです。

そう思ったとしても、それを口にしたとしても、犯人はすでにこの世の人ではなく、被害にあわれた人たちだって戻ってこない。それはよーくわかっているけど、やるだけやって死に逃げするのは卑怯だろうと、やり場のない怒りがこのような言葉になって表れたのです。

けれど藤田氏のこの記事を読んだとき、「一人で死ぬべき」と言ってるだけではなんの解決にもならない、と考えるようにもなったのです。なによりも、その声は犯人には届かないのだから。

無敵な人とどう接する?

ではどうしたらいいのでしょう。考えても考えてもその答えはまだ出ません。なにが正解かもわかりません。けれど世の中には一定数「無敵な人」がいるのは事実で、そういう人にとっての唯一の居場所を奪ってはいけない、必要以上に追い詰めてもいけないということだけはわかってきました。

その上で、「こういうこともあるのだ」というのを前提に、自衛を考える。この程度しか今は思いつきません。これを今だけのことだけにせず、「みんなで考える」という行為をずっと続けていくことには大いに意義はあると思っています。

寄り添うことまではできなくても、互いにとっての安全圏内でそれぞれが生きられれば、少なくとも尊い命が奪われるような悲しい事件は減るのではないでしょうか。以上です。

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蒼 じゅりあ
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サイト名の「Un Jour」とは、フランス語で「ある一日」という意味です。日々の記録・エッセイをまったりと綴っていきます。

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