自分に勝ち目がないことがわかると、捨て台詞を吐く人っていますよね。私も先日やられました。
悔し紛れの腹いせかどうかはわかりませんが、それを言ったところで自分の置かれた状況が好転するわけでもなく、それどころか頭の悪さと品格のなさを丸出しにするだけ。
少し前の、不正を働いた政治家が記者の質問に対して言葉につまり、代わりに「アンタ、頭悪いね」と恫喝気味に言い放った、それと良く似た構造です。あれを見て、「頭が悪いのはどっちだよ?」と思いませんでしたか?
いい大人がなぜ恥ずかしげもなく、そんな不毛なことをするのでしょうか。
その時はむしゃくしゃついでにやったとしても、冷静になった後、どんな心境になるのでしょうか。
ちなみ捨て台詞(すてぜりふ)とは
立ち去るときに一方的に言い放つ、悪意のこもった言葉。
小心者が不利な立場に置かれた挙句に放つ、苛立ちを表す言葉ですが、無駄にプライドが高く「自分の非を断じて認めたくない病」の人ほど使用頻度が高いです。
追い詰められた末の捨て台詞
私が後味の悪い捨て台詞を吐かれた状況をざっくり説明します。
ある人に、仲間内でのお金の不正使用について注意をしました。
最初のうちは誤魔化そうとして必死に言い訳してたけど、所詮は苦し紛れの言い逃れ。
その場しのぎの支離滅裂な屁理屈なんて、理論的に淡々とガチ詰めすれば難なく論破できます。当然ながら相手は何も言い返すことができません。
コメントをする度に変な地雷を踏んでいき、ついに感情爆発。逆ギレ気味に捨て台詞を投げつけてきました。
この段階ではすでに強固な被害者意識に凝り固まり、本来の「解決に向けての意志」はすっぽり欠落しているようで、「目の前の恐怖の種」にケンカをふっかけ、相手をやっつけることだけが「無意識の目標」になっているようでした。
状況は不利。
言葉ではとうてい勝てない。
でも言われっぱなしでは腹の虫が収まらない。
捨て台詞は負け犬の遠吠えと同じ
私はそれを負け犬の遠吠えと捉え、「哀れな人だ」と冷めた視線だけを相手に送りました。
このように「自分はいつも正しい」「自分が世の中で一番偉い」と思い込んでいる自信家ほど、プライドがズタズタにされるとトチ狂います。
それで状況が良くなるかといえばそうではなく、かえって悪化するのは目に見えているのに、それでも言い返してやりたいと思うほど自分の負けを認めたくないのでしょうか?
「相手をやっつけてやりたい」と虚勢を張ること・傲慢さにすがること・責任逃れで開き直ることでしか人とのコミニュケーションが取れないのでしょうか?
相手をやりこめている限りは、安全だと思い込んでいるのでしょうか?
私には、弱い犬が脅威を感じたときに防御の姿勢に入って歯を剥き出す、そんな光景に映りました。
捨て台詞を吐くしかない心境とは?
ではなぜ不正行為をしておきながら、被害者に対して「相手をやっつけてやりたい」という心境になるのでしょう?
正常な判断力があれば、他人のお金を無断で着服した立場なら、素直に認めて謝罪すればそこで終わるのに、それをしないどころか捨て台詞を吐いてしまうその心境とは?
これは想像ですが、本人の中では正当防衛のつもりかもしれません。
間違いを人前で指摘されたことが癪に障り、「人前で恥をかかされた」と解釈。自分の非を認めない強情な人ほど自分の行為は棚に上げて忘れる思考にあります。
世間から「常に正しい人」だと思われたい人ほど不正の指摘は死にも匹敵するほどの恥と捉え、過敏に反応します。
これは「謝ったら死ぬ病」の典型的な症状で、現代の医学では効果的な特効薬も治療法もありません。お手上げです。
捨て台詞は決別宣言
さて、別れ際に悪意のある言葉を一方的に投げつける行為は、こちらに対して「もう二度と会わないぞ」という決別宣言そのもの。
その時はカッとして反射的に私に放った言葉であっても、冷静になれば、それは私だけでなく、私の後ろにいる仲間たち全員に向けた言葉も同然です。
そもそもが、仲間内でのお金のことが発端なのですから。
実は捨て台詞を後悔してない?
それ以来、仲間内の集まりにも出なくなったのはもちろん、グループLINEでも一切反応しません。
感情に任せてヒステリックな捨て台詞という決別の言葉を投げつけたのですから、バツが悪くて今さらノコノコ出てこれない心境にあるのでしょう。
だって、もし本当に自分は悪くないと思うなら、堂々と出てこれるはずですから。
理性と感情のせめぎ合いで、今は感情が先立ち意地を優先しているかもしれませんが、時間が経て経つほどにどんどん孤立していき、つまらない意地を優先させたことを後悔する日が……来ればいいけど、頭悪過ぎて永久に来ないかも。
人目ばかりを気にする人は、孤独にしてあげるのがいちばん。「去る者は追わず」で放置するに限ります。
悪意の言葉は自分に返る
「短気は損気」とよく言ったものです。その場しのぎにちっぽけな面子を保つために放った捨て台詞は、目の前の相手に放ったつもりでも、いつか回り回って自分に返ってきます。
恫喝めいた捨て台詞になど頼ることなく、語録を磨いて言葉のセンスを養いたいものですね。「口は災いの元」と言いますから。