マダムユキさんが主婦ブロガーMの栄光と転落劇についての記事をアップしました。
あれからもう5年にもなるんですね。当時のことを知ってる人は、誰のことだかすぐにわかるでしょう。好きなタイプのブロガーとは思ってなかった私でも、あの一連の炎上劇は、今でもよく覚えてます。
炎上は回復の利かない「一発アウト」
今から思えばいろんな意味で特殊な炎上でした。
M自身が書いたブログ記事だけが炎上の原因ではありません。離婚・再婚の記事がトリガーになっただけで、そこに至るまでの火種はネット上にいくつもばら撒かれていました。
せっせと燃料投下に励んだのはなんとM。そして後のパートナーとなるE。
M自身が書いた炎上記事はその後すぐに削除されたようですが、時すでに遅し。「単に削除して終わり」ではありません。ひとたびネット上に漂い続けてしまえば魚拓に刻まれ、人々の記憶に刻まれ、大手掲示板にもMに関する記述はそのまま記載されています。
いくつかの批判記事も未だ長期にわたり検索結果に表示され続けています。それがデジタルタトゥーの恐ろしさ。自業自得とはいえ、こうなってしまえば全てを消し去ることは不可能です。
それなのに、自分にとって都合が悪い記事を書いた相手に対し、弁護士を使って「名誉毀損」で訴える作戦、子どもをダシにした泣き落とし作戦に出るとは……
世間ではこれを「ただの八つ当たり」と言います。人はそう変われないということか。どこまでも哀れで愚かな行為を選択したものだ。
記事削除をさせた経緯を知り、炎上劇以上の嫌悪感を抱くと同時に、当時のことを思い出していました。
ブログバブル時代に浮かれた人々
かつて「ブログで稼ごうぜ」という、バブルにも似たブログのブームがありました。
Mはそんな時代の寵児ともいうべき存在で有名ブロガーにのぼりつめました。しかし特別にライティング能力が高いわけではありません。例えるなら音程外しまくりの音痴な娘が、なにかの間違いでアイドル歌手になれたようなもの。だから私生活を切り売りするしか手がなかったのです。
ところがそんな素人っぽさが逆に受けて「この程度なら私にもできるかも」という希望を人々に与えたことで人気になった、珍しいタイプのブロガーだったと記憶しています。
あまりにも強い被害者意識からくる攻撃性
この当時、もうひとつのブームがありました。
「リスクを取れ」を合言葉に、逆張りの主張や無責任な行為をしまくる。当然ながら批判される。
すると意見と批判、誹謗中傷の違いもわからず、自分を被害者に仕立て上げ、なんでもかんでも「誹謗中傷」と決めつけ「名誉毀損で訴えてやる」「侮辱罪で訴えてやる」と脅しをかけるのが一種のブームでした。
社会的経験を積まぬまま、それなりの地位を築いてしまったお子様が考えそうなこと。厄介なことにお子様はお子様なりに、被害者ポジションの強さだけは知っているようで。だから批判されてどうにもならないと、自分を被害者に仕立て上げます。
当時の炎上芸人たちは不測の事態に陥ったときに、自分の気に入らない記事や批判的な意見に対して、訴訟訴訟と鼻息荒く脅しをかけましたが、そのほとんどは、「やるやる詐欺」に終わりました。
火力もなくなった人々
炎上は、良くも悪くもSNS時代における合わせ鏡。
炎上芸人にとって唯一の十八番(オハコ)である炎上芸が飽きられると、炎上させる火力も失います。
今では話題になることもなく、その名前をGoogleで検索すると「現在」というサジェストキーワードまで自動的に出てくる始末。これはもう「過去の人」である証です。そんな「過去の人」が、いくら訴訟をチラつかせたところで、話題になるはずもありません。
祭りの後に残ったものは
「歴史に学ぶ」という言葉があります。昭和の終わりから平成の初めにかけて、バブルという時代がありました。
あの頃バブルに浮かれた人たちは、熱に浮かされおいしい思いをたらふく堪能しまくり、このトントン拍子は永遠に続くと錯覚したことでしょう。しかしバブル期はあっけなく幕を閉じました。残ったものは、得たもの以上の大きな代償。
一方バブルを冷ややかに眺めて地道に歩んだ人たちは、大きな旨味を得なかった代わりに大きく道を踏み外すこともありませんでした。
ブログのバブルもそれと同じ。一時期ブログで頂点を極めたかに見えたMでさえ、永遠には続かない束の間の夢に翻弄された一人。
トントン拍子に上り詰めたとしても、それをただの偶然だと解釈し、調子にのることなくうまくブレーキを操作し続ければ、大きく道を踏み外すことはなかったはず。
しかし人間とは愚かな生き物で、歴史に学ばない者は、例外なく歴史に復讐されます。そうやって歴史の渦に飲み込まれ、数年もすれば「あの当時の人たちは」というくくりで片付けられてしまいます。ユキさんの記事で、炎上したアカウントのその後を垣間見た気分になりました。
ブログで稼ぐ時代は終わった
Mの転落劇はブログで稼ぐ時代の終わりにも通じます。稼ぎたい人を食い物にしようとする役に立たない書籍、怪しげなコンサルやオンラインサロンも、今後は厳しいでしょう。
「好きなことを仕事にする」というのは一見正しいかもしれないけど、実は万能ではありません。誰もが手軽に始められるブログは特に、レッドオーシャンになりすぎた感もあり、副業程度、趣味の小遣い稼ぎ程度ならともかく、個人がそれだけで食っていくのはかなり厳しい世界です。
「書かなきゃ」ではなく「書きたいことがあった時に書く」程度のスタンスが一般人にはちょうどいいのかもしれませんね。