ブイヨンを亡くした糸井重里さんが、新たにブイコちゃんという愛犬を迎えました。
悲しみを乗り越えて、前を向いて歩く決断をした糸井さんご夫婦の、次なる相棒がブイコちゃん。その姿を天国で嬉しそうに見守るのがブイヨン姉さん。
だって犬は、飼い主さんの笑顔が大好きですからね。
でも、その決断ができないでいる人もいます。
愛犬を亡くしてさびしくてたまらない。次の犬を飼いたいけど、前の犬に申し訳ないと思ってしまう。次の犬が身代わりになるような気がして、その子にも申し訳ないと思ってしまう…。
こんなふうに本当は飼いたいのに、次の犬を迎えることに罪悪感を抱く方がいます。
以下に書くのはそんな方に向けてのメッセージです。
身代わりはありえない
糸井さんのように、先代犬と同じ性別・同じ犬種を飼う人はとても多いです。その理由は、元々その犬種が好き、大きさその他も含めてその犬種のことをよく理解しているからなど、理由はさまざま。
無責任な外野の声は無視していい
そんなときに口さがない人は、無責任な言葉を発します。
同じ犬種という理由だけで「身代わりにしている」とかなんとか。また愛犬の死から間もないうちに次の犬を飼えば「一周忌も済んでないのに早すぎる」とかなんとか。
好みは個人の問題。家族間の話し合いができてて、次の犬を迎える準備がちゃんとできてて、終生飼育に必要な条件がすべて揃っているなら、はっきり言って大きなお世話。「外野は黙っとれ」ってなもんです。
でも愛犬を亡くして弱ってる心は、そんな無責任な言葉であっても「そうなのかな?」と、つい疑心暗鬼になってしまうと思うのです。
もしそうであるなら、外野の声なんて気にする必要はありません。
毛色・犬種・性別が同じでも、ひとつひとつの命には個体差があります。成長と共に、それが犬の個性や性格になって表れます。
私もトイプードルを3頭飼いました。性格も個性も見事にバラバラ。クローンじゃあるまいし、同じ命ではない違う命はそれぞれが唯一無二の存在。身代わりなんてありえません。
次の犬を迎え入れる時期についても同じです。
へ?一周忌?
亡き愛犬が熱心な仏教徒だったというならともかく、笑わせるなと言いたいです。早いだ遅いだなんて、それはあくまで他人の尺度で計ったもの。あなたの尺度とは違います。いい出会いがあった時がベストの時期なのです。
愛犬を亡くしてさびしい本当の理由
すべての命は永遠ではありません。命あるものはいつか旅立ちの時を迎えます。愛犬の死がどんなにつらくても、事実は事実として受け入れるしかないのです。こればかりはしかたがないことです。
それはよくわかっているけど、どうしても忘れられないのは、かつての楽しかった「犬のいる暮らし」と、今の「犬のいない、物足りない暮らし」を比較しているからではないですか?
犬がいるから家族との会話も増えた。犬を飼わなければ知り合えなかった人とも知り合えた。犬がいるからいろんなところに行った。たくさん笑ってたくさん遊んだ…。
亡き愛犬のおかげで、楽しいことがたくさんありましたよね。その思い出はかけがえのない宝物です。ずっとたいせつになさってください。
でも新しい犬を身代わりにするのとは違います。新しい犬を迎えても、亡くなった愛犬はずっとあなたの心の中で生き続けてます。存在する場所が違うだけのことです。
笑顔のリレー
新しい犬は、ある役割を担って先代犬からバトンタッチしてきたのです。その役割とは「犬のいる暮らし」をそのまま引き継ぎ、飼い主さんに笑顔をプレゼントすること。
だって犬は、飼い主さんを悲しませようと思ってこの世に生まれてきたわけではないのですよ。それは生きている間だけでなく、亡くなった後も同じです。
ほら、犬は人類の親友なんて言うでしょ?
親友だからこそ、自分がいなくなった後でも笑ってて欲しいと願ってるのです。
最後に
今回糸井さんご夫妻にブイコちゃんが来たことを喜んでいる多くの人たちは、きっとそのことをよく知っているからだと思います。
ブイヨンはとても陽気な子だったから、ダイスキなにんげんのおとうさんとおかあさんにはいつでも笑っててほしいと願っていたはず。だから今回の決断を、みんなが喜んだのです。
この出来事は、今現在ペットロスの渦中にあり、なかなか決断ができないでいる人の背中を押してくれるかもしれませんね。以上です。