人の悪口は言ったら負け、聞いても同調したら負け

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    「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉があるけれど、そういう人は間違っても「坊主は坊主、袈裟は袈裟」にはならないどころか、どうでもいいことに難癖つけて悪口を言うのが生きがいとなっているようです。

    その難癖のつけ方も独特。ネチネチと直接本人にイヤミを言うこともあれば、影に回って悪口を言うこともありります。

    そうやって悪口を吹聴した結果、多くの人に賛同されるかと言えば、そうではありません。悪口を言って他人を貶めたつもりが、言った本人を貶してしまう事実を目の当たりにしたお話をしていきます。

    Contents

    「えっ?」と聞き返しただけ

    数日前、私は趣味のスポーツサークルを欠席しました。その日、ちょっとしたアクシデントがあったそうです。

    ある人が転んだはずみで「ちょっと目がチカチカする」となり、その転んだ人を「誰が家まで送るか?」という話になりました。

    転んだ人は「大丈夫、たいしたことないからバスで帰る」と言ったらしいのですが、「Aさん、お願いできる?」と、(会の)責任者Bが声をかけたところ、「えっ?」と聞き返されたことに腹を立て、その二日後、私が会に顔を出すと、責任者Bは血相を変えて私にこう言いました。

    「じゅりあちゃん、聞いて〜。Aさんたら冷たいのよ」から始まり、かくかくしかじか、大した話ではないので以下省略。

    悪意に満ちた言い方

    むしろ私は、なんでこれほどまでにAさんの「えっ?」が気に入らないのか、その方が不思議でした。ただ「えっ?」と聞き返しただけじゃない。

    しかし責任者Bの受け止め方はそうではなく、「えっ?なんで私が?」という否定とか不満の意味と解釈したようです。

    咄嗟に振られて驚いたのかもしれないし、よく聞こえなかったから聞き返したのかもしれないし、本人はバスで帰ると言ってるから「私どうしたらいいの?」という戸惑いの「えっ?」かもしれません。

    いずれにせよ私はその場にいなかったし、状況を見てないから「へぇ…」としか言えませんでした。──他に答えようがないし、そんなどうでもいい話には興味もないし、というのが本音です。

    悪口は、言ったら負け

    その翌日。別のメンバー(Aさんと責任者B抜き)で集まったときに再びその話が出ました。

    ある人がこう切り出しました。
    「(責任者Bの)あの言い方だと、まるでAさんが悪者みたいに聞こえる」

    “ああ、なるほどね、他のメンバーも知ってるということは、責任者Bは、こんなどうでもいい話をあちこちでみんなに言って回っているんだ”と思いつつ、私はこう言いました。

    「Aさんは意地悪な人ではないよ。口下手で人見知りするから誤解されやすいけど、根はとっても優しい人だから、決して家に送ることを嫌がっていたわけではないと思う」

    その場に居合わせたメンバーも、この意見に大きく賛同。

    すると自然と責任者Bは、「なぜこれほどまでにAさんのことを悪く言うのか?」という話になりました。

    「ずっと今まで一緒にやってきてたのだから、Aさんがそんな人じゃないってことくらい、わかりそうなものじゃない?」
    「えっ?と聞き返したくらいで、大げさにするような話じゃないわよねー」
    「悪く取ろうと思えば、なんでも悪く取れるからねー」

    各自それぞれが疑問や感想を口にしてたわけですが、誰もがAさんに同情的で、悪口を言ってた責任者Bに非難の矛先が向かう結末となりました。この程度のどうでもいいことを、大げさに騒ぎたてる方が大人げないのです。

    このように悪口は、言った本人をいちばん貶す結果になるのです。

    聞いた悪口にどう対処するかで人の価値もわかる

    もちろんこの理屈が全ての人に当てはまるとは言いません。中には見てもいないのに、一方的な悪口を鵜呑みにして無責任に同調したり賛同する人がいるのも事実です。でもそういう人は、人として信用できません

    だからリスマス試験紙じゃないけれど、悪口に対してどう反応するかで人としての価値もわかってくるのです。

    少なくとも責任者Bの一方的な悪口に同調したり鵜呑みにしなかった他のメンバーたちは、信用するに値する人なのだと私は確信しました。

    自分にとって居心地のいい場所を探すなら

    これまで私は色んな人間関係を見てきました。人は大きく分けると悪口を好む人と好まない人に分かれるし、人のあら捜しが生きがいの人と、人の良い面を見ようとする人に分かれます。

    もしあなたが三度の飯より他人の悪口を言うのも聞くのもダイスキでやめられないというなら、責任者Bのような人がぴったりです。

    人のあら捜しが生きがいの人は、良い面を見ても見ないフリを決め込むくせして、上記のようにどうでもいいようなことを、重箱の隅をつつくようにほじくり出してはあげつらいます。

    それに同調して、一緒になって憤慨してあげれば、たちまち良いお友達になれますよ、きっと。まぁ正確には、お友達というより養分にされるだけですけど。

    それで安心を得られるかといえばそうではありません。誰かを敵にしないと保てないような関係は脆いものということだけは肝に命じておきましょう。互いに信頼しあっての結びつきではないのですから、やがて悪口を言う相手がいなくなれば、仲間内で共食いが始まるのは火を見るよりも明らかです。

    そういう人は歪んだ目と心で見るのが癖になっているから、人を貶めるネタなんて、いっくらでも量産しては無責任に投げ売りします。同調する人は仲間ではなくそのサクラでしかありません。

    そんな関係は虚しいですよね。それより悪口を聞いても鵜呑みにせず、同調しないでサラッと聞き流すような人のほうが、一緒にいて楽しいとは思いません?

    そういう人はぜったいにあなたの良い面を探し出してくれるから、居心地がいいし、安心できるのです。付き合うなら、そういう人とだけつきあっていきたいですよね。

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