ネオテニスと呼ばれるスポーツがあります。ざっくり言えばバドミントンのコート(ネットの高さは1m)とバドミントンラケットを使ってスポンジボールをテニスのように打ち合う競技です。
バドミントンに比べるとはるかにゆっくりとしたスピードなので、高齢者でも無理なく気軽に楽しめます。
先日友人に誘われて市の一般開放に参加してきました。一般開放は、体育館使用料を払えば誰でも利用できる・・・はずだったのに…。
こんな場所にでも「新参者は小さくなってろよ」という輩がいるのには閉口しました。
ネオテニス初日
まず初日の話から。
右も左もわからないまま競技場に入ると、場を取り仕切る指導員がいました。私たちが「初めてです」と言うと、コート一面を使ってつきっきりで基礎打ちにつきあってくれました。
私たちはネオテニスの初心者です。でも全くの初心者とは少し違って、みなバドミントンをやっている人ばかり。多少は球技のカンが備わっています。コートは見えるから、どこが穴なのかはわかります。(相手がいない場所という意味)
でもバドミントンにはないワンバウンドするボールの動き、特に自分の体とボールとの距離感がよくわからない状態。案の定、最初は空振りばかりでした。
でも2時間も経過すればちょっとしたラリーができるようになり、「なんとなく楽しいかも…」という感じで第一回目が終了。
ネオテニス2日目
そして本日が2度目。
前置きが長くなりました。ここで冒頭の「新参者は小さくなってろよ」という輩の登場です。初日は基礎打ちだったのに、今日はいきなり指導員が「ゲームに入れ」と言います。
「え?それはさすがにみんなに申し訳がない」と、一旦は辞退しましたが、「バドミントンをやってる人ならすぐにできるようになるから、遠慮してないで空いている所に入って」と言われ、その気になってゲームにも参加しました。
排他的な人ほど実力がない
すると露骨に嫌な顔をする人が約二名。
1人は女。私たちがミスすると、聞こえよがしに「こんな人とでは練習にならない」と、プイッとコートを離れ…。もうひとりは年配の男性。ツカツカと私たちの近くに来て「何のスポーツをしていたの?」と聞いてくるので「バドミントン」と答えると、「ああ、だから変な打ち方をしてるんだ」と謎のケンカをふっかけてくるではありませんか。
それだけでなく、後で指導員に食ってかかってました。「素振りくらい教えてからゲームに入れろ」とかなんとか。
どうやら私たちは、招かざる客だったようです。
それだけ言うならさぞかしうまいのかとその2名に注目していたら、なんてことはない、バドミントンなら5分もかからず片付けられる程度の腕前。
私たちはネオテニス初心者ではありますが、ラケット競技の上手い下手くらいはわかります。その二名はネオテニスでもあまりうまいとは言えない人たちでした。
でも「そんなもんだよな」と思いました。本当に上手い人なら、誰と組んでも勝てます。そうではないことが自分でわかっているから下手な人とは組みたくないのです。
真剣勝負の場ならそう思うのは無理ないとしても、今日の場所はそうではなく、市民のお遊びの場所。そんな場所でマウントを取りたがり、新参者いびりをしたがる器の狭さ・排他的な根性に辟易しました。この人たちは初心者だった頃がないとでも言うのでしょうか?
これはネオテニスだけでなく、バドミントンにもよくあることです。いや、あらゆる場に通じることかもしれません。
真の実力者はもっとゆったり構えいます。自分の恥になることを知っているから、自分より弱い者に対していびるような行為をけっしてしません。
でも恥を知らない人はどこの世界にもいるものです。そんなのは今に始まったことではないから慣れっこではありますが、やはりもやっとします。
ただ言えることは、そのような排他的なところは長い目で見れば例外なく衰退してます。そういうことを人にする人もまた、長い目で見れば居場所をなくしているのです。
そんなこともわからず、場もわきまえずに威張り散らす…。実にせこく、哀れな人たちだと思いました。
こんなこともあり、またバドミントンに比べて動きがゆっくりすぎて、ネオテニスは私には物足りなく感じました。友人は次も通うつもりでいるみたいですが、私はどうしようかなと、次回の参加を考え中です。