先日知り合いと話していたときのこと。
「あの人、最近自信をつけてきたよね。態度が全く違うもの」
それに対しては肯定も否定もしませんでしたが、心の中ではこうつぶやきました。
“自信じゃない、あれは思い上がりだよ”
両者は似て非なるもの。自信と思い上がりは全く違います。
ではどこがどう違うのか、自信と思い上がりの決定的な違いについて考えてみます。
自信とは
Wikipediaには「自信」についてこう書かれています。
人間が自らの能力、知識、信念などを信頼している精神の状態を意味する
そして「自信過剰」についてはこう書かれています。
慢心や驕りになる危険がある
私が冒頭の人物について「思い上がり」だと感じたのは、自信を通り越して「自信過剰」になっていると判断したからです。
過ぎたるはなんとやら。慢心状態にあるようなとき、思いがけずに物事がうまくいかなくなると、今度はたちまち「自信喪失」状態に。
自信喪失すると、思考は停滞して行動は消極的となるか、自信喪失の反動からしばしば虚栄心が頭をもたげて自分自身を虚飾し、実際の自分よりも良く見せようとする、完璧主義に走ったり何かに依存するといった状況に陥ることがある。
こうして違いを列挙すると、いいバランスの自信はだいじだなと思います。
思い上がりとは
実際よりえらい者だと思い込む。いい気になる。うぬぼれる。
このように、悪い意味での「自信(過剰状態)」が「思い上がり」になるのです。
例えば本当にいいバランスの自信を身につけた人は、物事が成功すると「周囲のおかげ」。一方自信過剰で思い上がりの強い人は「私のおかげ」と信じて疑いません。
それが自信と思い上がりの最大の違いです。
そういう人が仮になにかで失敗すると自信喪失状態になるだけでなく、失敗の原因を「周囲のせい」だ思い込み、自分の心を守ろうとします。
このように自信過剰も自信喪失も、物事にいい影響を及ぼさないのは明白ですね。
それはわかっていても人間とは愚かなイキモノで、思いがけずに物事がトントン拍子に運んだりすると、つい有頂天になってしまうもの。
思い上がっているときほど、自分の未来には落とし穴なんて存在しない、自分はなんでもできると自惚れます。
しかしその慢心が失敗の原因になるのです。
思い上がらず、程よい自信を持つために必要なこと
こうして考えると、自信過剰の人ほど自信喪失になりやすいことがわかってきますよね。その逆もしかり。自信がない人ほどちょっとうまくいくと思い上がって、おだてられれば天にも昇ります。
驕らず思い上がらず程よい自信を持つためには、何が必要なのでしょう。
自信というのは心の有り様なので、これが正解というのはないけど、あるとするなら自分の身の丈を正しく知ることでしょうか。身の丈を知るというのはできるようでなかなか難しいけど、自分を大切にする気持ちがあれば、等身大の自分を見つけられるはずです。
他人の「いいね」やおだてに左右されることなく、自分の目で等身大の自分と向き合う勇気、それが本当の自信を身につける最善のコツかもしれません。
最後に
程よい自信を身につけるのは、結果的に自分を大切にすることにつながります。常に安定した心を持ち続けるために、等身大の自分と向き合っていきたいものですね。