少ない材料だけを見て、それが全てであるかのように決めつけてかかる人に接すると疲れませんか?
特にその決めつけが、一方的な尺度で他人を測るようなレッテル貼りや人格否定のような内容だと、答えに困りますよね。
なぜこの人はやたら短絡的な答えを出したがるのだろう? わかってないのにわかったようなことを言うのだろう?
こんなふうに、頭の中が疑問符だらけになってしまいます。
聞きかじりを真に受けて決めつける愚かさよ
少し前、ある人から私の古い友人についての質問がありました。
彼ってドタキャンするような人なんでしょ?
その二人は直接的な関わりはないに等しく、共通の知人を介して知り合った程度の間柄です。
たいして知りもしないのに、誰かから聞きかじった内容だけで「ドタキャンするような人」と決めつけてかかる物の言い方がまず不愉快。
そのドタキャンにしても、私には目くじらを立てる内容とは思えませんでした。
予定していた飲み会のお誘いを、最初は”出席”と返事をしたものの、何日か前になって「急な仕事の都合で出席できなくなりました」ときちんと伝えていたからです。
果たしてこれを「ドタキャンと言えるのか問題」はもちろん、お遊びの飲み会程度で、そんなことをいちいち問題視する方が怖いと思いません?
誹謗・中傷するための決めつけ
ドタキャン云々の話は、彼に対して悪意を持つ人物から聞きかじった内容だと推察されます。
彼を貶めるために、取るに足らないどうでもいいことをネタにして、人格否定のための決めつけをする発信元のやり口は、彼のことをよく知らない人に対し「ほら、あの人はこんなに酷い人なのよ」と吹聴しながら自分の側につけるところからスタートします。
その目的は、自分の側につけたい相手にも嫌悪感を植え付けて、対象の側に向かわせないようにするためです。
今回はたまたまドタキャンをネタにしたようですが、別のネタだっていいわけで、理由なんて後付けでいくらでも作れます。
本来の目的が誹謗・中傷なのですから。
そんなこんなですっかり真に受けてしまった受け手が次にどうしたかといえば、聞き流せばいいものを、あろうことか他者に向けて「あの人ってそんな人なの?」と、確認という体(てい)を装った拡散をします。
人から聞いた話なら、拡散したところで自分には責任がないと思うからです。
そんなくだらないことを聞いて回る暇があるなら、直接自分で彼とコミニケーションをとり、人物像を自分の目で確認して判断すればいいだけなのに、それはしません。
そこがおバカのおバカたる所以なのです。
決めつけ発言に根拠はない
こういった話は世の中にゴマンとあります。
「長男だからこうすべき」「母親なんだからこうあるべき」「あの人の離婚原因は◯◯だ」「あの人はこんな人」「男ってこれだから」「主婦は暇でいいね」etc..
これらは「自分は絶対に正しい」という思い込みが激しく、物事を多角的に見ることができない、頑固かつ無神経な人がよく口にするフレーズです。
どれもこれも、その人が脳内で勝手に描いたイメージでしかなく、そのイメージはほんの一部分だけを偏見の目で計って切り取り、それがすべてであるかのような錯覚によって描かれたものです。
そのため実際には的外れな内容がほとんどです。
それもそのはず、いくら「自分こそ正義!」とアピールしたところで、それは正しく検証もされてない、なんの根拠もない、その人の勝手なイメージでの決めつけですから、的外れにもなりますよね。
だから聞く側は、「あなたに何がわかるの?」とイラっとするわ、呆れるわで、決めつけ人間に対して苦手意識を持つのです。
決めつけ発言にはどう対処する?
さて、決めつけ発言への対応をいくつかご紹介します。
まず、あまりにも独善的でトンチンカンな決めつけにはきちんと反論する必要があります。
先の「ドタキャンする人」という友人への決めつけに対してこう答えました。
呆れた、今までそんな非常識なことを言う人は誰もいなかった
人格を貶めるような決めつけにはこのくらい強い言葉での反論も時には必要で、実際この一言は効果てきめん。一瞬で黙りました。
決めつけが激しい人は、自信がないからこそ勝手な決めつけをして安心していたい、というケースが多いので、強い言葉でガッと言われると、だいたいひるみます。
なぜ呆れられたのか、なぜ非常識なのかの理由はわからないでしょうけど、まずい発言であることくらいはわかったはずです。
ただ、どこの組織にでも「あの人ってこんな人」と決めつけたがる人はいるもので、いちいち反論してては身が持ちません。
聞き流せる内容なら軽くいなして聞き流し、あまりにも独断と偏見に満ちた決めつけをする人とはつかず離れず、必要最低限の関わりに留めるのが得策です。
世の中には「まともに向き合う価値さえない人」というのが一定数存在していて、話し合えば必ず分かり合えるというのは幻想です。
関わりたくないなら無理して関わらない。わからない相手には無理してわからせようとしない。
それが自分の心を穏やかに保つ秘訣ではないでしょうか。