何かを始めるより、今までずっと関わってきたことから身を引くのはとても勇気がいります。
気持ちはやめたくてしかたないのに、その勇気が持てないあまり心の中は不平不満でいっぱい。
「やめたい、でもやめるのが怖い」
この記事ではそんな堂々巡りで自問自答を続けている方に向けて、自分の心に向き合って確認しておきたいポイントをお伝えします。
なぜやめる勇気が持てないのだろう
ものごとを始めるのはポジティブなイメージがあります。しかしやめることに対しては、自分も含めた世間一般がマイナスのイメージを抱きがちです。
例えば離婚、離職、学校の中退など、それまでずっと続けていたことをやめるような場合、人からよく「なんで?」と聞かれますよね。でも始める時はなぜか聞かれない。
それは聞く人が持つ、やめることへのマイナスのイメージがそうさせているのです。また「何かあったのかな?」というゲスな好奇心も加わるでしょう。
自分もそういう目で見られるかもしれないと想像してしまうから、悪い印象を持たれない、誰もが納得する立派な理由を用意しなきゃと、つい身構えてしまう。その過程でよけいなことまで考えてしまう。だから行動に移せないまま堂々巡りを繰り返すのです。
足かせを取り払う
- 「もしかしたらある日、その世界にいた人たちに道でバッタリ会う可能性があるかも」
- 「もう少し続けていればよかったと後悔するかもしれない」
- 「裏切り者と、自分が悪く言われたらどうしよう」
これらが代表的な「やめたいのにやめられない」足かせです。
でもそんなのは「起きるかどうかもわからない未確定要素」で、そのほとんどが周囲から刷り込まれたイメージです。
本当に考えなければならないのは「今がベストな引き際なのか」と「やめた後に自分はどうするか?どうありたいか?」だけです。他人のことではなく今の自分と未来の自分だけを考えればいいのです。そんなくだらない足かせは追い払ってしまいましょう。
人の口に戸はたてられない
やめた人を悪く言うのは特に珍しいことではありません。そういう環境ほどやめずに残っている人のことも悪く言ってます。陰口の多い、良くない環境ですね。
陰口くらい言われたっていいじゃないですか。どうせやめるのですから。しかも自分が直接それを聞くわけではありません。彼ら彼女たちがやめた時に悪く言うのはほんのいっときです。新しい話題ができれば、おしゃべり雀たちはあっという間に他の話題に飛びつきます。
でもそこに残っている限り、ずっと言われ続け、聞き続けるのです。
もしそんな環境なら、残るメリットはありません。さっさと立ち去る方が賢いです。
引き際の見極め方
私個人でいえば、今までずっと続けてきた趣味のスポーツクラブを、そろそろやめようと考えてます。
少し前からスポーツそのものへの向き合い方を少しずつ変えようと考えていました。試合が第一という今の所属チームを抜けて、もっと自由なお遊び感覚のサークルに鞍替えしたいなと思うようになったのです。
ときめきがなくなったのを実感したとき
最近そのスポーツそのものにときめかなくなっている自分に気づきました。始めた頃の情熱が全くなくて、そこに出かけていくのも億劫な時があります。「行かなきゃ」みたいな感じで重い腰を持ち上げてやっと出かけて、帰ってくるとホッとするという、これは完全に気持ちが冷めた・離れた証拠です。
そんなことが続き、そろそろやめ時かもしれないと、自分で判断したわけです。
終わりがあるのはあたりまえ
何かをやめることに対するマイナスのイメージを、まず自分が捨ててしまわないと後味が悪いものになってしまいます。自己嫌悪に陥ってしまいます。
やめることは悪ではありません。山だって登ったら下山するのはあたりまえ。ずっと頂上に居続ければ遭難します。登るよりも降り方の方がだいじです。高さがあるほど滑落したら大怪我をするからです。
そのためには終わりがあることを認めて、一歩一歩、丁寧・確実に下山することを考えないと、登る前の日常には戻れません。そう、やめるのは始める前に戻るだけのこと。決して悪いことではないのです。
その肝心のやめ方ですが、登った時の倍の時間をかけてゆっくり下山するような、静かなフェードアウトのスタイルを取る。やめるのではなく卒業と考える。正直な気持ちを伝えて周囲の理解を得るなど、やり方は人それぞれです。
居続けることの方が悪い場合もある
スポーツは特に、年齢を重ねれば継続は困難になります。できなくなる日は必ず訪れます。
けれど、とうにできなくなっているのに「若いモンにはまだまだ負けない」みたいな、頑なに終わりを認めようとしない人をよく見かけます。
食事がとっくに終わっているのに、まだ何か出てくるんじゃないかと、いつまでもテーブルにはりついている人みたいで、実に意地汚くて見苦しい。空腹でもないのに惰性でダラダラ食べ続けていれば贅肉になるだけです。
やめることはマイナスではありません。おこぼれをもらおうとする意地汚い人の方がマイナスなのです。
引き際の美学に従い、見苦しい姿を晒す前に潔くやめるのは、むしろポジティブといえるのではないですか?
最後に
自分でじっくり考えた末にやめるなら、それは決してマイナスではありません。清々しい気持ちで次の山を探すもよし、しばらくのんびり休息してから次の目的地を探すもよし。山は飽きたから海に挑戦するのだってアリです。
そのためには外野のくだらない雑音から一度スッパリ離れてみることをオススメします。自分の心にじっくり向き合えば、やがて進むべき方向性が見えてくるはずです。