Diary

不仲な親族の葬儀をめぐり…

先週突然他界した義理の姉の葬儀をめぐり、他の姉妹と意見が別れています。

個人経営が不安定な理由一部ネットでは、会社員を辞めたことを武勇伝のように語り、それを受けて独立・起業が時代の先端であるかのように錯覚し、なんの経験もないまま新...

義理の関係とはいえ兄の妻なら姉妹に当たるし、まして近くに住んでいるのだから、みな参列するだろうと、私は考えてました。しかしその子供の代(甥と姪)はどうしたらいいか?というのが今回持ち上がった問題です。

不仲な親族の葬儀

長姉と兄夫婦の仲は険悪そのもの。20年ほど前に、あることが原因で絶縁状態となりました。

第一報が届いたとき、長姉は一応「姉弟だから、私は通夜と告別式には出るけど、それ以外のことはしない。息子にも一切報せない」と、20年経った今も頑なな態度を崩さず。

間に挟まれた私は、やりにくいったらありゃしないということで、愚痴がてらこの記事を書いてます。

葬儀への参列を迷う人は意外と多い

義理の関係だと、どこまで葬儀に参列するかで迷う人は多いですよね。しかも今回のように、不仲だったり疎遠な関係だったりするとなおさら。ネットで調べてもそれぞれの意見はバラバラです。

なぜバラバラなのか、そこには「明確な正解」というのがないからです。

気持ちの問題は本人にしかわからないけれど…

まして気持ちの問題が絡んでくると、当事者にしかわからない様々な思いがあり、風習を含めたそれまでの歴史や背景が大きく関係してくるから「私の正解」と「他人の正解」は必ずしもイコールではありません。

なので「正解ではないかもしれないけど、一般論ならこんな感じかな?」という部分でしか物を語れない、というのは私も重々理解はしています。

それでも私が長姉の言葉でどうしても引っかるのは「息子(甥)には報せない」という言葉。

報せるくらいはしてもいいのに

兄と長姉とのトラブルは当事者同士のことで、甥とは関係ないのだから、姉の独断で甥に報せないというのは、いささか横暴ではないのかと。それによって甥が後に周囲から「不義理」と言われやしないだろうか?なんてことを危惧したのです。

「もし私なら?」と考えたとき、私は多分子供には「報せない」のではなく、報せた上で行く・行かないを子供の判断に任せるだろうと思ったのです。

長姉と兄が揉めだしてからは、甥も兄とは疎遠になりました。でもそれまでは甥だって兄から可愛がられてきたわけだから、「葬儀に関してまで自分たちのトラブルを、子供の代に持ち込むのはどうかな?」というのが私の正直な気持ち。

「村八分」という言葉があるけど、あれだって葬儀と火事だけは別という考え方だから、今回もそのように考えられないものかな?と思ったわけです。

それと、過去にはいろいろあったかもしれないけど、亡くなった人のことをいつまでも恨んでも仕方ないとは思えないのかな?とも…。

だって相手はもう、この世のしがらみとは関係のない場所にいるのだから。

それを言えばきっと「お前は当事者じゃないから私の気持ちはわからない!」と言うでしょう。

いくら恨んでも何も変わらない

確かに本人でなければわからないかもしれません。なので水に流せとは言わないし、許せないなら許さないでもいいけれど、いくら意地を張り続けて誰かを恨み続けても、何かが劇的に変わるわけではありません。

過去が変えられないなら、どこかで自分の気持ちに折り合いをつけるポイントを見つけた方が、姉自身が楽になれるのではないかと思うのです。

私も「コイツ、絶対に許さない!」という人はいます。でも私が許そうがどうしようが、その人の人生が変わるわけではありません。どんなに恨み続けても相手は痛くも痒くもないのです。だって相手には相手の人生があるから。

そのことに気づいてからは、恨むだけ損と割り切るようにしました。それ以上の恨みを抱えないようにすることが、自分の心を守ることだと気づいたのです。

具体的には物理的に距離を取り、その人のことを考えない時間をたくさん作るようにしただけですが、そうやって暮らしていくうちに、あらら不思議。やがて長い時間が過ぎた頃、ふと気づくと相手のことなんてどうでもよくなっているではありませんか。

だから姉にも、「自分の心を守るために、過ぎたことは忘れろ」としか言えないのです。その方が楽だから。

人を恨むって、本当に消耗しますよ。20年も前のことに今でもこだわっているというのは、過去に執着しているだけです。その当時の怒りはすでにどうでもよくて、自分の意地を通そうとしているだけに思えるのです。

でもそれほど意地が大事なら、もっと建設的な部分でその大事な意地とやらを使えと言いたいでのす。以上、とりとめのない愚痴でした。

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蒼 じゅりあ
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サイト名の「Un Jour」とは、フランス語で「ある一日」という意味です。日々の記録・エッセイをまったりと綴っていきます。